“敬意をかたちにする” ボッティチェリ 作『東方三博士の礼拝』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 東方三博士の礼拝
- 画家 サンドロ・ボッティチェリ(1445年 ~ 1510年)
- 制作時期 1475年ごろ
ボッティチェリについて
概要
サンドロ・ボッティチェリは15世紀のイタリアで活躍した画家です。
初期のルネサンスにおいて最も高名な画家であり、強いバックホーンをもとに偉大な宗教画を多く制作しました。
また彼の功績で最も大きなものは、新プラトン主義の絵画への導入でしょう。
ボッティチェリはキリスト教の価値観すらも変容させた人物と言えます。
生涯
作品背景
東方三博士は、ユダヤ教及びキリスト教に伝わる3人の賢者(マギ)を指します。
それぞれ名前をカスパー / メルキオール / バルタザールと言いますが、『新世紀エヴァンゲリオン』を見た方にはお馴染みの名前かもしれませんね。
伝承によれば、どこからともなく表れた三博士はイエスの誕生時に駆けつけ、それぞれに祝福を与えたと言われています。
聖書曰く、空に光る星(ユダヤの星)を見た賢者たちは、それが“ユダヤの王が生まれたことを示す暗示”だと解釈し、星を頼りに運命の子を探すことにしました。
星は彼等を先導して進み続け、最終的にある家屋の上で止まります。そして家の中に入った賢者たちは、未来のユダヤ王となるイエス・キリストと邂逅したのですね。
賢者たちは聖母マリアに抱かれるイエスを見ますと、拝謁し祈りを捧げました。
そして彼らはイエスへの贈り物として黄金、乳香、没薬を献上します。
その意図に関しては、【この時代における一般的な贈り物】という説がある中で、【王位、神性、救世主の象徴】を示すという説も出ています。
(個人的には、後者の方がロマンがあって好きですね。)
なお、賢者たちはイエスの居場所について、ユダヤ王国のヘロデ大王に問うていましたが、自身の脅威となるイエスの存在を快く思わなかったヘロデ大王は、「運命の子を見つけた場合は報告せよ」と賢者たちに命じます。
当然これはイエスを殺すためであることに他なりませんが、それを察知していた賢者たちはヘロデ大王を避けて帰路についたそうです。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
サンドロ・ボッティチェリ 作『東方三博士の礼拝』です。
聖母マリアに抱かれるイエスに拝謁する賢者たちの様子が描かれていますね。
マリアの足元には賢者たちからの献上品が置かれ、また彼らを囲むように大勢の人々が詰め掛けています。
ボッティチェリの画家人生の初期に描かれたこの作品は、フィレンツェの商人ガスパーレによって依頼されたものでした。
さらに言えば、ガスパーレはボッティチェリに対し、構図や細部の描写が異なる三博士(三賢者)の絵画を7つ以上注文したことが分かっており、また登場人物に関して詳細な指示を出していたことも推測されています。
そしてその指示なのですが、なんと三賢者を含む登場人物のモデルをメディチ家(当時のフィレンツェの実質的な支配者)の人々にするというものでした。
なぜこのような指示が商人であるガスパーレによって出されたのかは分かっていません。
しかしながら人物たちはそれぞれが表情豊かに描かれており、顔の向きや全体の構図、衣装の装飾に至るまで一切の隙も無い完璧な仕上がりになっていることから、制作においてボッティチェリが多大なリソースを割いたことは間違いないとされています。
(あくまで説の一つですが、ガスパーレやボッティチェリも描かれていると言われています。)
ただ、三博士として登場したメディチ家の人物たちは、作品完成時に全員死亡しています。
これは、フィレンツェにおけるメディチ家の隆盛が衰えていない頃の作品ですので、神秘主義に傾倒しすぎていない、神秘と現実の架け橋となるような性質を持っています。
つまり、絶対的神性の象徴たるイエス・キリスト / 聖母マリアと、人間であるメディチ家を混在させたのですね。
メディチ家庇護下の学者たちは、人間は物質でありながら精神的に神性を感じることができるため、この世界における特権階級であると考えていました。
これはのちに新プラトン主義に通じる考え方となりますが、ボッティチェリがすでにこの考え方に傾倒していたことが作品からわかります。
またボッティチェリは作品を通じて、この思想を広く一般に広げたかもしれませんね。
この作品はフィレンツェのウフィツィ美術館に所蔵されています。(外部リンクに接続します。)
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