“二色の富士” 葛飾 北斎 『山下白雨』『凱風快晴』を鑑賞する

浮世絵

作品概要

  • 作品名 傘下白雨 凱風快晴
  • 画家 葛飾北斎(1760年~1849年)
  • 制作時期 天保2年(1832年)ごろ

北斎について

概要

葛飾北斎は江戸時代の日本で活躍した浮世絵師です。

化政の時代にて、江戸の町人文化を代表した芸術家の一人であり、日本の大衆文化の発展に大きく貢献しました。

彼が生涯に描いた作品は実に3万点を超えます。それはもはや狂人の域であり、それを自覚してか自らを“画狂人”と称しています。

生涯

作品背景

今回ご紹介する作品は、いずれも富士山を題材にしたものたちです。

そもそもに『富嶽』とは富士山の別名であり、北斎の代表的シリーズである『富嶽三十六景』は富士山を主題にした36の情景を表します。

北斎は古来より信仰されてきた、日本の象徴たる富士山について今一度再考し、再び大衆に広く認知させるためにこの作品群を作ったのかもしれませんね。

富士山の歴史
『ふじ』という名前

この山が、いつごろから『ふじさん』と呼ばれていたのかはわかりませんが、少なくとも8世紀(奈良時代)に編纂された【常陸国風土記】にて『福慈山』という名称が使われていたことが分かっています。

また平安時代に作られた【竹取物語】の中では、月に帰るかぐや姫から不死の薬をもらった帝が、その悲しさのあまり山頂から薬を捨てさせたために、その山が『不死の山(ふしのやま)』→『富士の山(ふじのやま)』と呼ばれだしたと書かれていますね。

さらに別の学説で、大和言葉をルーツにしているというものもあります。大和言葉は漢語や外来語が伝わってくる前の日本列島で使われていた上代日本語ですので、それが事実であるなら『ふじ』という言葉の生まれは古墳時代にまで遡る可能性もありましょう。

人々との関わり

富士山は霊峰であり、修験道を始めとした山岳信仰の聖地でもありました。

明治時代までは女人禁制だったそうで、御神体でもある山体には“浅間神(あさまのかみ)”“木花之佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメノミコト)”の神霊が宿ると言われています。そして江戸時代の征夷大将軍であった徳川家康が浅間神社を特に優遇したため、それ以来、現在でも富士山の8合目以上の部分は、登山道や富士観測所以外のすべてが浅間神社の境内になっています。

 

ちなみに、この山を初めて登頂した人物については諸説ありますが、信憑性の高いものの一人に平安時代の学者である都 良香(みやこのよしか)がいます。

彼は9世紀後半に富士山へ登り、火口の様子や付近の詳細な情報を記しましたが、そのあまりの正確さから登頂は事実であると言われているそうですよ。

そのほか、聖徳太子が献上された無数の馬の中から神馬である甲斐の烏駒(かいのくろこま)を見抜き、その馬に跨ったまま富士山を越えたという逸話などもあります。

芸術との関わり

古くから日本人の精神に寄り添っていた富士山は、当然芸術や文化の中にも都度登場しました。

中でも、一般的に富士山×芸術で特に連想しやすいのは、葛飾北斎の神奈川沖浪裏でしょう。荒れ狂う波と雄大にそびえる富士の見事な対比が描かれたこの作品は、北斎の代表作として江戸時代から愛されてきたほか、セイコーの最高級時計『FUGAKU』や、2024年度から使用予定の新千円札にもあしらわれていますね。

また、横山大観といった近代日本画家の他、本阿弥光悦のような陶芸家、さらには室町時代や平安時代の芸術にまでも、芸術との関わりを遡ることができるそうですので、富士山はまさに全日本人の心の背景に佇み続ける存在と言えましょう。

鑑賞

  

傘下白雨の大きいサイズはこちら  凱風快晴の大きいサイズはこちら

あらためて作品を見てみましょう。

葛飾北斎作『山下白雨』、『凱風快晴』です。

前述した通り、『神奈川沖浪裏』と並ぶ、富嶽三十六景の富士大役物の2作ですね。

 

山下白雨に画かれているのは、溌溂とした青空と富士、そしてそのすそ野の荒れた天候です。

右下に見えますオレンジ色のライン。これは一瞬マグマのようにも見えますが、画かれているのは雷です。敢えて画面が真っ黒に塗られているのも、厚い雲に隠された暗い情景を表すためなのですね。つまりこの作品は、青々とした晴れ空にそびえる富士の山体とすそ野の夕立が画かれているのです。

山の向こうとこちら側で見える景色はまるで違い、そこにいる人たちは反対側の、こことは正反対の天候をまるで想像できない。まさに富士山が壁として2つの世界を隔てているような、境界的な富士山への畏敬の念が込められている作品と言えましょう。

また、鳥瞰とでも言うかのような、空から見たような構図も斬新ですね。

1つの画面から多様な富士の姿を見ることができ、さらに各所での様子や、人々からの富士山への印象まで伝わってくる。ある種、キュビズムともいえるような傑作です。

 

反対に、凱風快晴に画かれているのは雄大でありながら、穏やかな風景です。

凱風とは南風のことであり、暖かくゆるやかな季節風を表します。また、青空に広がるスジ雲からもわかるように、この作品で画かれているのは春の光景なのですね。

空気の澄んだ春の終わりごろは山の稜線がはっきりと見えるため、大きな山体を俯瞰して見ることができるでしょうね。そこには溶け残った雪の白や、日を浴びた赤い山肌、そして麓の樹海を一望することが出来、これらは混然一体となり青空に横たわります。この作品を画いた北斎の目には、天然のパレットとでも言うかのような鮮やかな光景が見えていたのではないでしょうか。

前者の作品に対し、こちらは富士山が持つ“美”を閉じ込めた作品になりました。

 

 

 

葛飾北斎が富士山と日本人の関わりについてどれほど認知していたのかはわかりません。

というより、江戸時代の一般人が一生で知ることのできる知識は、現代の新聞紙1つ分しかないと言われていますので、北斎が文化史を研究していた可能性は非常に低いです。

しかしながら、富士山が日本人の心象風景に深く溶け込んでいることを肌で感じていたからこそ、北斎は大衆文化である浮世絵にその姿を写したのでしょう。

そしてその情熱と成果は時を越え、現代の私たちにも届いているのですね。

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