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“最盛期ルネサンス以前の巨匠” ピサネロ 作『聖エウスタキウスの幻視』を鑑賞する

宗教画

作品概要

  • 作品名 聖エウスタキウスの幻視
  • 画家 アントニオ・ディ・プッチョ・ピサーノ 通称 ピサネロ(14世紀末 ~ 15世紀半ば)
  • 制作時期 1440年前後

ピサネロについて

概要

ピサネロは15世紀に活躍したイタリアの画家です。

ルネサンス初期、まだ遠近法や写実的表現が研究されている段階のイタリアにおいて、ピサネロは様々な手法で貴族たちを魅了しました。

なかでも、皇帝のために制作した物に端を発する記念メダルは、新たな文化としてその後も西洋に根付きました。

生涯

初期の頃

時代が古いため、彼の出自や若い頃の様子を記した資料は多くありませんが、説によればピサネロは14世紀末にイタリアのピサで生まれ、少年時代を北部のヴェローナで過ごしたそうです。

30歳前後の頃にはローマで高名だった芸術家のもとで修業し、師弟でフレスコを制作しました。

 

フレスコは漆喰の上に顔料を塗り仕上げる壁画で、当時の美術の中心にあった技法です。

時代の変遷の中で、ピサネロが携わったフレスコはその多くが紛失していますが、残った作品の中から師の影響が垣間見れるようです。

40代

画家として自立するとマントヴァへ赴き、約20年もの間、マントヴァの当主である貴族のもとで仕事を行いました。

制作依頼は貴族の風俗画から、教会のフレスコ(宗教画)など多岐に渡り、この時代にピサネロの芸術は一つの到達点を迎えます。

 

この時代はルネサンスの技術は研究段階であり、“最後の審判”“最後の晩餐”といったルネサンスを象徴する作品たちはピサネロの死後に現れました。

当時の主流は『国際ゴシック』であり、これは理想化された人物像を煌びやかな衣装で描くというスタイルです。

 

しかし当時のヨーロッパは暗澹たる世相を見せ、またその雰囲気が多くの絵画にも自然に表れたため、全体的な雰囲気やテーマは暗いものが多いです。

画家はクライアントたちの意に沿い、暗い時代に華々しく輝く彼らを描いたのでしょう。

メダル

このころ、既にピサネロの名はイタリア各地に馳せており、彼の描いた素描は飛ぶような値段で取引されたそうです。

その絶頂期において、彼はメダル制作によりその評価を不動のものにしました。

 

きっかけは1438年のフィレンツェ公会議です。

イタリアでは主に、東方正教会とカトリックの合同について議論が行われましたが、ピサネロはこの時、東ローマ帝国皇帝を記念するメダルを制作しました。

この試みは絶大な反響を獲得し、のちに彼は“記念メダル”という文化の創始者になります。

 

ピサネロの制作したメダルは、その美しさも相まって権力者たちの威光を諸国へ届けるために、非常に有意義な働きをしました。

(既にメダルという文化はありましたが、それは鋳造で量産されたものでした。彼の作り出したメダルは立体感を持ち、それひとつが芸術品としての価値を持っていました。)

晩年

出生と同様に、ピサネロの死没を明確に残した文はありません。

記録によると、1448年にスペインのアラゴン王国に招待されていますが、それ以降の記録は途絶えています。

 

加えてピサネロが弟子や派閥を作らなかったために、その技術は失われてしまいました。

国際ゴシックもまた、ルネサンスの盛衰の中で時代に飲み込まれたため、結果的にピサネロはこの時代を飾る最後にして最大の画家になったのです。

鑑賞

 

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あらためて作品を見てみましょう。

ピサネロ 作『聖エウスタキウスの幻視』です。

 

聖エウスタキウスは2世紀ごろのローマに実在していたとされる、キリスト教の殉教者です。

キリスト教徒となったエウスタキウスに対し、神は試練として艱難辛苦を与えますが彼は信仰を捨てませんでした。

しかし、当時のローマ帝国は皇帝崇拝やローマ神話への信仰が主であったために、新興宗教であるキリスト教は異教とみなされ禁止されています。

エウスタキウスもまた同宗教への改宗が見つかったために、拷問・死刑に処されました。

処刑は家族もろとも行われましたが、最後の習慣まで信仰を捨てなかったエウスタキウスは列聖され、以後、伝説的な教徒として崇拝されます。

 

この作品では、

狩人であったプラキドゥス(のちにエウスタキウスに改名)が鹿の角の間に十字架を見つけ、その奇跡により信仰に目覚める瞬間が描かれています。

が、特異なのはその装いでしょう。

彼は古代のローマにあるまじき豪華な衣装と、狩人らしからぬ雅な帽子をかぶっていますね。

 

これはピサネロが、貴族たちのためにあえて行ったアレンジです。

彼は、聖人を貴族のような装いにすることで貴族たちの自己顕示欲を満たさせたのですね。

狩人たるエウスタキウスを題材に選んだことも、貴族の趣味が狩猟だったことに合わせたと考えられます。

また、周りの暗い雰囲気は当時の暗澹とした世相を表しているかのようです。

 

皮肉と賛美が両方込められたこの作品は、まさに国際ゴシック様式を代表する絵画と言えましょう。

 

この彫刻は、ロンドンのナショナルギャラリーに収められています。(外部リンクに接続します。)

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