“日曜画家の域を超えた男” ルソー作『眠るジプシー女』を鑑賞する
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作品概要
- 作品名 眠るジプシー女
- 画家 アンリ・ルソー(1844年~1910年)
- 制作時期 1897年
ルソーについて
概要
アンリ・ルソーはフランスで19世紀末から20世紀にかけて活動した画家です。
本業は税関職員であり、絵画は趣味程度のものでした。
税関を退職すると本格的に創作活動を開始しますが、奇抜な作風は当時の芸術界から非難されます。
しかし彼の作風はキュビズムに通ずるものがあるとされ、現代では再評価が始まっています。
生涯
ごく普通の人生
アンリ・ルソーは1844年にフランス西部の町に生まれました。
高校中退後、初めは法律事務所に勤務しますが、5年間の兵役を経てパリの税関職員となり、以降はこれを生活の要とします。
前述したように、彼にとって絵画は趣味の一環でした。このように、本業を持ちながら並行して創作活動を行う画家を“素朴派”と呼びます。
ルソーは趣味とは言えその作品たちを精力的に展覧会に出品していたことから、画家と呼べるでしょう。
現在確認できる限り、ルソーは35歳の時に初期の作品を作っています。これは税関の職員になって8年がたったころの事でした。
私生活は不幸が続いていたようで、2人いた妻やその子供たちは相次いで亡くなったそうです。
孤独を忘れるためにルソーは仕事とキャンバスを往復しました。
画家専業へ
49歳のころ、ルソーは画業に専念するために長年勤めた税関を早期退職します。
フランスは大航海時代までさかのぼる年金制度の歴史を有しており、ルソーを始めとして公務員は早期退職した場合でもそれに応じた年金が支給されました。
そしてこれを機に、のちの世に残る名作たちが多く作り出されます。
否定的な評価
生前、ルソーの作品が大衆に評価されることはほとんどありませんでした。
それどころか彼を評価していたのは一握りの画家や詩人だけだったそうです。
当時の芸術界は印象派の残滓が残っており、それらは新印象派やポスト印象派に形を変えて界隈を席巻しました。
すなわち、前衛的すぎるルソーの画風は同じく前衛的な芸術家にしか理解することができなかったのです。
そのかわり、前衛芸術家たちのルソーへの愛は非常に深いものでした。
スペインの大芸術家パブロ・ピカソは画家や詩人たちとともにパリで『アンリ・ルソーの夕べ』という会を開きました。
かれらはルソーを囲み、口々に賛辞や称賛の詩を伝えたそうです。
日本でもレオナール藤田を始めとした新進気鋭の画家たちが彼に注目していたと言われています。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
アンリ・ルソー作『眠るジプシー女』です。
ジプシーとは定住をせずに旅をし続ける民族を指します。
また一つの民族を指すものではなく、言葉も宗教も異なる民族を総称した呼び名です。
作品では月の輝く砂漠で眠る女性のもとへ1匹のライオンが現れていますね。
本来不毛の地にライオンが生息することはなく、ジプシーはルソーを表し、またライオンは獣たちを庇護する王という解釈がありますが、まだ論議は行われているそうです。
殺風景なテーマでありながら冷ややかで神秘的な情景を醸し出していますね。
輪郭は月の光で輝いており、ライオンの毛並みや体毛は写実性を持ち合わせています。
ルソーの作品に遠近観はなく、登場人物たちは真横や正面を向いているものが多いです。
これはのちに現れるキュビズムに近いと言われています。
不思議な魅力があり、じっと立ち止まってしまう魔力を持った絵画でした。
この作品はニューヨーク近代美術館に収蔵されています。
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