“その画術は彼女のために” ブーシェ 作『ポンパドール夫人』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 ポンパドール夫人
- 画家 フランソワ・ブーシェ(1703年~1770年)
- 制作時期 1756年ごろ
ブーシェについて
概要
フランソワ・ブーシェは18世紀に活躍したフランスの画家です。
画家となるべく生れたと言われるほどの天才であり、ロココ最盛期を支えた画家の一人です。
彼の描く神話画はサロンを中心に広がり、上流階級の人々に寵愛されました。
新古典主義が台頭しだすと、ブーシェの作品は時代遅れの遺物と揶揄されましたが、ルノワールなどの巨匠が彼を尊敬したそうです。
生涯
ポンパドール夫人とは
ポンパドール夫人はルイ15世の公妾(日本で言う側室)だった女性です。
厳格なキリスト教のもとに成り立っていたヨーロッパの王国では、妃以外の女性を囲うことは許されませんでした。
しかし好色的な王たちはこれに成り代わる存在を新たに作り出し、その欲を満たしていたのです。
公妾は世間に秘匿されるような存在ではなかったために、絶大な権力を握っていたことが特徴です。
故に権力闘争や怨嗟を買うこともしばしばありましたが、その性質のために社交界や芸術界を発展させました。
略歴
彼女の本名はジャンヌといい、1721年の末に銀行員の家に生まれました。
貴族ではなかったものの中産階級(ブルジョワジー)で育ち、さらに英才教育を施されたことでジャンヌは貴族以上の教養を身に着けた才女に育ちます。
やがて徴税人と結婚するものの、その美しさに魅入ったルイ15世により公妾の地位とポンパドール公爵夫人の名を与えられたのです。
ルイ15世はもともと政治にあまり関心を示さなかったため、ポンパドール夫人は彼に変わって絶大な政治的権力権力を行使するようになります。
「私の時代が来た」
大臣に自身の傀儡を配置し、事実上の宰相(日本で言う内閣総理大臣)となったポンパドール夫人はこう宣言したそうです。
ただし、独裁的で自己中心的な政治は行わず、オーストリアやロシアと通じプロイセンの力を抑えるなど、外交を中心にその才能をいかんなく発揮しました。
特にマリア・テレジアを介したオーストリアとの和平合意は、長年の対立を解消する革新的な事件となります。
また、幼い頃から培っていた学術的な才能を駆使して芸術家たちを刺激し、ロココ様式を急速に成長させました。
自身を見出したルイ15世とはあまり閨を共にすることはありませんでしたが、ルイ15世は彼女が無くなるまで寵愛を貫いたそうです。
美貌・才覚・環境に恵まれ、そしてそれを自国のためにすべて注ぎ込むことができた人物と言えるでしょう。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
フランソワ・ブーシェ作『ポンパドール夫人』です。
ブーシェはルイ15世の筆頭画家を務めていましたが、そこにはポンパドール夫人の影響が少なからず及んでいたのではないでしょうか。
彼はロココを代表する画家であるがゆえに、夫人はブーシェを寵愛していたでしょう。
ブーシェがその愛に応えるように、数々の作品を描いていたこともわかっています。
豪奢なバロック絵画に対し、ロココ様式はその柔らかさが大きな特徴です。
これは絵画に限らず建築などにも共通した性質であり、造形物やモデルたちは妖精を感じさせるような彩りと雰囲気を持ち、またあらゆるものがふわりとした光を抱えています。
とりわけブーシェはこの表現が顕著であり、ある種の官能的な艶やかさも感じますね。
微笑でリラックスした様子で腰掛けるポンパドール夫人の表情からは、権力を知性でコントロールできているが故の余裕が感じられます。
その肌はほのかに輝きを放ち、周りの空気を照らしているかのようで幻想的ですね。
作風が官能的すぎるために批判されることもあったそうですが、むしろ高性能なカメラで撮影したグラビアのように、美へのバイアスを与えることに成功したと考えるべきでしょう。
両者の深い信頼や愛情が伺い知れる作品でした。
こちらの絵画はドイツの国立美術館アルテ・ピナコテークに所蔵されています。(外部リンクに接続します。)
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