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“遅咲きの印象派” 後編 ゴーギャン 作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』を鑑賞する

印象派

作品概要

  • 作品名 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか
  • 画家 ポール・ゴーギャン(1848年~1903年)
  • 制作時期 1898年

ゴーギャンについて

概要

ポール・ゴーギャンは19世紀に活躍した、フランスのポスト印象派画家です。

証券会社員だったゴーギャンが絵画制作に出会ったのは、彼が25歳の時でした。

ゴーギャンはカミーユ・ピサロと出会い、印象派画家として生計を立てんとしますがその道のりは苦難に満ちます。

また、同じくポスト印象派画家であったゴッホと共同で生活していた時期もあります。

生涯

再びタヒチへ

47歳の時のゴーギャンは、仲間たちからの批判により芸術界で孤立しました。

そして精神を病んだ結果、逃げるように2度目のタヒチ旅行に向かいます。

 

最初の旅行時とは違い、この頃のゴーギャンには作品の売り上げから来る経済的な余裕ができ始めていました。

そのため、少しばかり裕福なエリアに大きなアトリエを構え、さらには地元の政治へ干渉するようになります。

もはや地元の名士ですね。

また、距離を置いたとはいえパリの芸術界とも交流は続けていたようで、画家やパトロンたちと熱心に文通をしていました。

不安定な人生

反面、健康状態は心身ともに悪く、梅毒の進行や飲酒によるトラブルに悩まされます。

 

不幸はさらに続き、49歳の時には娘の逝去や家の立ち退きに遭いました。

ゴーギャンは作品の売り上げはあったものの、それに見合わないレベルの消費を行っていたが故に、多額の借金を抱えており、新しい家の建設にも苦戦したそうです。

 

しかし、芸術家とは絶望的な状況において傑作を生みだします。

ゴーギャンは同年に、彼自らが終生の傑作と認める絵画を制作しました。

本項で紹介する『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』です。

 

そして完成後に、より原始的な生活を求めてマルキーズ諸島に移住しました。

彼の健康状態はなおも悪化し続けます。

マルキーズ諸島にて

マルキーズ諸島はタヒチから北東に1500kmの沖合に浮かぶ島々です。

もともと8万人いた島民は、西洋から持ち込まれた病原菌により、4000人にまで減っていました。

 

ゴーギャンはここに“快楽の館”と名付けた家を構え、制作に専念します。ただし、この土地での生活をするために取り入ったプロテスタントの司教とは、間もなく不仲になりました。

生活風景

タヒチ、及びマルキーズ諸島では妻の他に料理人や使用人たちを雇っていました。(タヒチとマルキーズ諸島ではそれぞれ別の妻を娶っています。)

 

かさむ借金の中での使用人を抱えた暮らし、飲酒、少女との結婚と性交。さらには各島々における政治への口出し。

現代では到底許容できないような、傲岸不遜な生活をゴーギャンは繰り返しました。

人間的には非常に破綻した人格が形成されていたと考えられます。

 

それでも周りが彼を許したのは、ひたむきな芸術への熱と、そこから生み出される作品たちがあったからでしょう。

逝去

ゴーギャンは、マルキーズ諸島に転居して丸2年が経たない頃に急逝しました。

晩年は全身が衰弱しており、動悸などに苦しめられたそうです。

 

ただし、精神だけは気丈でしたので、地元の政治や役人への啓発は続けたそうです。

逝去する直前にも、汚職した憲兵の裁判を行うための資金を集めていました。

彼はボロボロになった体を尚も使い続けるために、モルヒネやアヘンのアルカノイドを常用していたそうです。

鑑賞

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あらためて作品を見てみましょう。

ポール・ゴーギャン作『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』です。

 

これはポール・ゴーギャンという画家の、人生をかけた作品であり、彼の哲学を表した絵画です。

 

ゴーギャンは人の一生を3つの構成で曼荼羅のように描きました。

向かって右側は生誕を、中央は青年期を、左側は老いと死を示しており、後方の青い肉体は生の苦しみを超越したものを表します。

左の隅、老人の足元に白い鳥がいますが、ゴーギャンはこの鳥をして

「言葉がいかに無力なものであるかということを物語っている」

と残しています。しかし真意はわかりません。

 

彼はこの作品に、特別に深い愛情を持っていました。

この作品の中には悲観も楽観も感じられず、ただありのままの人生が描かれています。

前述したように、これは人生で最も深い絶望の中で生まれた作品ですが、彼は絶望の中心にいたからこそ、ヒトの生をニュートラルに描けたのです。

もしくはそれを俯瞰で見ている超越者こそが、彼の理想だったのかもしれません。

 

人々が原始的な生活を送るマルキーズ諸島は、ゴーギャンにとっての楽園ではありませんでした。

ここは人間の剥き出しの精神がありありと現れる、原色の世界だったのですね。

 

この作品の完成後に、ゴーギャンは自殺未遂をしています。

 

この作品はボストン美術館に収蔵されています。

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