“万能の天才” 前編 レオナルド・ダ・ヴィンチ 補助作『キリストの洗礼』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 キリストの洗礼
- 画家 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)
- 制作時期 1474年ごろ
ダ・ヴィンチについて
概要
レオナルド・ダ・ヴィンチは15~16世紀のイタリアを中心に活動した芸術家です。
ルネサンス期の研究と発展の象徴的な人物で、あらゆる学問に秀でた人物でした。
彼が論文を残した分野は現代の理科的な学問のほぼすべてを網羅しており、また音楽や料理などにもその知的探求心を向けたことから“万能の天才”と呼ばれました。
ただし、その論文が日の目を浴びるのは19世紀になってからであり、レオナルド・ダ・ヴィンチの名が知れ渡ったのは20世紀ごろです。
生涯
ヴィンチ村の少年
レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年にトスカーナ地方のヴィンチ村で生まれました。『ダ・ヴィンチ』とは『ヴィンチ村の出身』という意味です。
レオナルドの幼少期には不明な部分が多いそうですが、彼の父親は何度も結婚を繰り返していたそうです。
またレオナルドは学校に通っていません。彼は地元の青年からラテン語や数学を習い、以降は独学で知恵を育んだそうです。
このころ遊びの中で山の洞窟を発見したそうです。
レオナルドは洞窟に潜む魔物におびえ、中に入ることができませんでしたが、一方で洞窟の中がどうなっているのかという興味が頭を埋め尽くしたそうです。彼の知的好奇心はこの頃から抜きん出ていたのですね。
芸術家の道へ
14歳になるとレオナルドはフィレンツェの芸術工房に弟子入りします。同期にはペルジーノやボッティチェリといった芸術家たちがいたそうです。
生来の才能は早々と開花しました。
レオナルドは知識・技術ともに目覚ましい吸収力を見せ、絵画や彫刻のみならず機械工学や化学、治金すら修得したそうです。
20歳になる頃には芸術家ギルドから『マスター』の称号を得ました。
そして父親から工房を与えられたレオナルドは独立した芸術家となります。
人柄/プライベートの様子
ストイックさ
レオナルドは私生活において非常にストイックな性格だったそうです。
画術や知識は言わずもがな肉体においても妥協を許さず、美しくも強い肉体美を持っていたそうです。
研究や創作活動に加えて筋トレ、レオナルドの1日は30時間くらいあったのでしょうか。
やさしさ
彼はベジタリアンでした。それは生物への博愛心から来るものなのでしょう。
その証拠に町で売られている鳥を購入しては、籠から出して自然に帰していたそうです。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
レオナルド・ダ・ヴィンチ 補助作 『キリストの洗礼』です。
この作品を手がけた画家はレオナルドの師であるヴェロッキオであり、レオナルドは背景や天使を描いたと言われています。
ただし、ヴェロッキオはレオナルドの画術の高さに心を折ってしまい、以降は絵画を制作しなくなりました。(ヴェロッキオもまた学問や芸術の才能に恵まれた、フィレンツェを代表する画家です。)
天才が周りの才能を潰してしまう典型的な例ですね。
描かれているのは、洗礼のためにヨハネのもとへキリストが訪れた場面です。
ヨハネはヨルダン川で人々に洗礼を施していましたが、そこへキリストがやってきた瞬間に足元へ平伏し、イエスから洗礼を受けることを願ったそうです。
もともとヨハネは天使のお告げによりヨルダン川にいたため、作品には2人の天使が描かれていますが、この天使こそがレオナルドが描いた部分です。
天使たちが絵の中でひときわ浮いて見えますね。
この作品は当時新技術だった“油彩”を用いて描かれていますが、レオナルドはその性質を完璧に使いこなせており、尚且つ天使の持つ神聖をキャンバスに表現しました。
この作品はフィレンツェのウフィツィ美術館に収蔵されています。
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