“印象派に学んだ色彩” 後編 渡辺 省亭 作『四季花鳥図 -夏-』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 四季花鳥図 -夏-
- 画家 渡辺 省亭(1852年~1918年)
- 制作時期 1891年(明治24年)ごろ
省亭について
概要
渡辺 省亭(わたなべ せいてい)は明治から大正期に活躍した日本画家です。
画業と並行して行った七宝焼きのデザインのノウハウを生かし、西洋人たちとの交流を持った省亭は、本場で印象派の色彩を学ぶ機会を得ました。
帰国後はその知識を日本画に流用し、以降国外を中心に絶大な人気を得る、鮮やかな花鳥画たちを制作します。
生涯
その名は海外へ
23歳の折、隠れた才能を見出された省亭は、輸出用の陶磁器を扱う会社にデザイナーとして雇われました。
当時、透明な釉薬の開発により飛躍的に技術が向上した日本の七宝焼きは、欧米諸国で大ブームを巻き起こし、明治政府もまたこれに大きな投資を行いました。
省亭はこの会社で西洋向けの美意識を育み、ジャポニスムを加速させます。
そしてこの会社の社員として、パリへの単身赴任、即ち日本人画家初の海外留学を行いました。
留学先での詳細な行動は謎ですが、ドガやニッティスと交流があったようで、その中で省亭は印象派の持つ鮮やかな色彩感覚を学んだようです。
帰国
帰国と同時に結婚をするも、省亭の視線は国内外に広く向けられました。
31歳の時には、作品をアムステルダム万博に出展し、またその11年後にはシカゴ万博での作品が評価を受けています。
時にその画風が、審査員の顰蹙を買うこともありましたが、写実的かつ色彩豊かな彼の花鳥画は、多くの西洋人を魅了しました。
また、日本国内では木版画や挿絵といったイラスト関連で人気を得ます。
翻訳された海外作品への挿絵や、人気作家の小説での仕事を通じて、省亭は間接的ながら言文一致運動を後押ししました。
晩年
省亭は66歳で没するまで、弟子を取らず悠々とした画家生活を送り続けたと言います。
自身が30歳ごろに結婚した、妻である“さく”は吉原出身であり、またその他にも女性を囲い、フラフラと遊びに行くことがありました。
歯に衣着せぬ物言いで他の絵師の作品を批判するため、友人と呼べる画家たちも非常に少なかったそうです。
故に一匹オオカミ
最期にその生涯をどう振り返ったのかはわかりませんが、渡辺省亭は終生に渡り、絵師としての自分を追求し続けた人間でしょう。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
渡辺 省亭 作『四季花鳥図 -夏-』です。
藤の花の下で泳ぐ金魚と鯉が描かれていますね。
まるで藤の花だけが後から書かれたかのように浮いて見えますが、これにより水の中の世界が印象深く心に染みます。
前編でもお伝えしましたが、彼の筆致は書の修業により繊細さを極めました。
それ故か、魚たちは次の動きが見え透くようにしなやかであり、優雅且つ動的な美しさを持ち合わせています。
反対に頭上の花々は、静止していながらも存在感を放つ静的な美しさを得ていますね。
描く対象を限りなく無くしたこの作品は、日本人のもつ詫び寂びと西洋人の持つ可憐さをミックスしたものと言えましょう。
この作品はポーランドのクラクフ国立美術館に収蔵されています。(外部リンクに接続します。)
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