“ジャポニスム” -葛飾北斎作『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』を鑑賞する-
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作品概要
- 作品名 富嶽三十六景 神奈川沖浪裏
- 画家 葛飾北斎(1760年~1849年)
- 制作時期 江戸時代後期
北斎について
概要
葛飾北斎は江戸時代の日本で活躍した浮世絵師です。
江戸の町人文化を象徴する芸術家の一人であり、日本の大衆文化の発展に大きく貢献しました。
生涯
北斎は1760年に江戸の葛飾に生まれました。
当時の日本には幼名という文化があり、彼の名は生涯のうちに時太郎→哲蔵→中島八右衛門と変遷します。
また、芸術家としての名前である画号を頻繁に変えたことでも知られています(後述)。
幼少のころの北斎は鏡磨師、貸本屋、彫刻師など様々な親方のもとで奉公を重ねました。
その中で貸本に描かれていた絵に興味を持ち、彼は画家を志すようになります。
のちに浮世絵師 勝川春章の弟子となり、19歳でデビューしました。
一般のイメージとは異なり、初めのころは役者絵や漫画絵(絵の手本として作られた。)を多く描きました。
北斎はその生涯で画号を30回変更し、住まいを93回替えたといわれています。
理由は定かではありませんが、精神的な転生を模索せんとする画家としての苦悩を感じますね。
よく知られる北斎という画号は、北斗七星や北極星を信仰する仏教の一派に由来しています。
代表作となる富嶽三十六景の制作が始まったのは彼が60歳のときです。
この頃になると北斎は悠然かつ泰然自若とした自然美を心の拠り所とし、諸国を訪ね歩いては風景を作品にしました。
齢80を超えてもその制作意欲は衰えず、彼の描く絵もまた進化します。
まるで描くほどに絵の中に命が込められるように、動物/人物/風景のすべてが動きのある命として存在していました。
そして江戸時代末期 1849年、日本画への情熱絶えぬまま葛飾北斎は90歳で死去します。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
葛飾北斎作『富嶽三十六景 神奈川沖浪浦』です。
注目すべきはオランダのゴッホですら驚嘆した構図でしょう。
富士山を遠方に見つつ、3隻の船が波に負けまいとしています。北斎の感じた自然の雄々しさがありありと表現されていますね。
さらに面白いことに、この絵には遠近法で富士山が描かれていますが、実際に神奈川から富士山は見えません。
都合よく事象を曲げて対象物をアピールするテクニックは、挿絵を描いていた頃に身に着けた技術でしょうか。
一枚の絵の中にこれほどまでに『動き』を表現したこの一枚に、ゴッホを始めとした当時の西洋画家たちは衝撃を受けたそうです。
ジャポニスムをさらに加速させた一枚といえるでしょう。
浮世絵はその性質上複数の真作が世に出回っており、
北斎のこちらの作品もまた『東京富士美術館』を始めとした多くの美術館に収蔵されています。
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