“仄暗い闇に浮かぶ” 月岡 芳年 『幽霊之図 うぶめ』を鑑賞する

日本画

作品概要

  • 作品名 幽霊之図 うぶめ
  • 画家 月岡 芳年(1839年~1892年)
  • 制作時期 不明

芳年について

概要

月岡 芳年(つきおか よしとし)は幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師・日本画家です。

ジャンルを問わず数多くの作品を残した画家であり、また多くの画家を育てた日本画壇の功労者です。

しかしながら彼の描く作品の多くは残酷かつ無慈悲なものであり、一般大衆に忌避されることもありました(通称 血まみれ芳年)。

現代では再評価され川瀬 巴水同様、浮世絵復興の礎となった人物です。

生涯

産女とは

概要

産女(うぶめ)とは、妊娠したまま亡くなった女性が化けた亡霊です。

 

主に江戸時代の書物にその姿が語られていますが、多くは下半身が血に染まった状態で現れるとされています。

というのも、古来の封建的な価値観において女性は家を存続させる役割を担っていたため、嫡子を世に残さずあの世に行くことは重罪とされていました。

そしてそのような女性は地獄へ落ち、血の池地獄で責め苦を負うために産女もまたこのような姿になったのです。

 

亡霊としてこの世に残っている以上、当然に何らかの無念や怨嗟を抱いていますが、多くの場合彼女たちは子を幸せにできなかったという思いを抱くことが多いでしょう。

そのため、出会った人に我が子を託すような記述も残されています。

各地の伝承と考察

産女及び同一の存在を表すような女性に関する伝承は、日本各地に残されています。

そしてその多くは上述したような姿なのだそうです。

 

おそらくこのような各伝承は、何らかの事情で一人で子を産んだ行きずりの女性が発端であると考えられます。

江戸時代などでは、離縁(離婚)は女性の人権そのものに関わる重大な問題でした。

そのような境遇になり、かつ身籠っていた女性は、せめて我が子だけでもと思い旅人に縋ったのではないでしょうか。

出産のための出血であるとすれば、上述の姿態にも説明が付きますね。

 

しかしながらこの状況において彼女たちは被害者であり、社会的な救済ができなかったがゆえに発生した問題ともいえます。

ある種、このような社会的な闇をごまかすために彼女たちを亡霊とし、その存在を現世と隔絶したとも考えられます。

鑑賞

 

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あらためて作品を見てみましょう。

月岡 芳年作『幽霊之図 うぶめ』です。

 

芳年としては珍しい、肉筆画の作品ですね。

血にまみれた腰巻を巻いた女性が子を抱いている姿を後ろから画いています。

周囲は仄暗く、しかし彼女自身はぼんやりと光っているようにも見えますね。

その背中からはこの世への未練や無念がありありと放たれており、我が子への悲しみや周囲への怨嗟が混じり合って伝わってきます。

 

芳年は日本特有のじわりとした恐怖をシンプルな構図と色彩で表現しました。

これは“血まみれ芳年”と呼ばれたこれまでの画風とは、微妙に趣を分けるものでしょう。

ジャパニーズホラーの象徴ともいえる作品ですね。

 

この作品は慶応義塾が所有しています。(外部リンクに接続します。)

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