“悲劇のあとで” 伊藤 若冲 『仙人掌群鶏図襖絵』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 仙人掌群鶏図襖絵(さぼてんぐんけいずふすまえ)
- 画家 伊藤 若冲(1716年~1800年)
- 制作時期 1789年(寛政元年)
若冲について
概要
伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう)は江戸中期(正徳紀~寛政紀)に活躍した日本画家です。
動植物画を大変得意とし、多くの弟子を育て日本画壇に多大な影響を残した人物の一人です。
ただしその生涯はまだ謎が残る部分も多く、目下研究対象の画家です。彼の残した作品のいくつかも真偽が分かれているそうです。
生涯
制作背景
1788年 京都を襲った未曽有の大災害“天明の大火”で若冲は自宅を失い、路頭に迷った彼は大阪や京都の寺の障壁画を画き食い扶持を稼ぎます。
当時の寺社は公営の避難所のような役割も担っていたため、若冲の他にも多くの人々が夜露をしのいだでしょう。
伊藤若冲は京都の相国寺と永代供養の契約を結んでいましたが、この大火を機にそれを解除しています。
すなわち、それまで相国寺にのみ割いていたリソースを上方の広範囲の寺社に広げたのでしょう。
それからの若冲は寺社への制作活動を中心に晩年を過ごしました。
生涯妻を娶ることが無かった若冲にとって、京都という町や画業は自身のアイデンティティそのものと言えます。
しかしそれを火災によって失った時、最早心の寄る辺は神仏にしかなかったのでしょうね。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
伊藤 若冲作『仙人掌群鶏図襖絵』です。
サボテンは当時の日本に似つかわしくないオーパーツのように思えますが、その実、戦国時代の末期には日本へ輸入されていたそうです。
つまりこの作品が画かれる200年も前に、日本人はサボテンを認知していたのですね。
しかしながら、この植物は日本のそれとは一線を画すデザインをしているので、自然を愛する若冲が目を付けるのも無理はありません。
作中では両端に画かれたサボテンの間で、鶏や雀たちが舞うように闊歩する様子が画かれています。
その姿態や色合いは各々異なっており、若冲が彼らそれぞれに愛情を割いたこと、それぞれを1つの生命として尊重していたこともわかりますね。
この作品は“天明の大火”の翌年に、浄土真宗の寺の襖絵として制作されました。
それは嘆き故か、弔い故か
はたまた、全てを失った若冲が己の中にある『命』を体現するためにこの作品を画いたのでしょうか。
例えばそのような観点で見れば、金箔の上に大胆に配置された鳥たちが高らかに生命を謳歌しているようにも見えます。
見方によってこの作品はいかようにも取ることができますが、少なくとも襖の中の鳥たちは確かに”生”を得ています。
この作品は大阪府豊中市にある西福寺に所蔵されています。
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