“夢に消えた構想画” 黒田 清輝 作『梅林』を鑑賞する

日本画

作品概要

  • 作品名 梅林
  • 画家 黒田 清輝(1866年~1924年)
  • 制作時期 1924年 絶筆

黒田について

概要

黒田 清輝(くろだ せいき)は明治初期に活躍した日本の洋画家です。

士族の出身で政治家でもあった黒田は、芸術学校の創設に尽力し日本洋画壇の草分けとなりました。

維新後、後に文化庁の日本芸術院(旧 帝国芸術院)の院長となります。

また、黒田は日本画に“外光”という概念を導入した人物としても有名です。

生涯

制作背景 -構想画とは-

黒田清輝は日本画に対し、それまではありえなかった概念を取り入れんとします。

それまでは大和絵・浮世絵ともに、実物もしくは想像上の動物や人物、景色を画くことを主題としており、それは大きなスケールで考えれば写実主義に他なりません。

しかし写実を追求した結果、歌川広重の雨の表現や、尾形光琳の梅、また俵屋宗達の2柱の神といった至高の作品たちは生まれたのです。

明治初期の日本洋画壇の考え方もまたこの思想に準じており、ありのままの被写体をいかに正確に写し取るかを模索していました。

 

黒田はここへ深い精神性を混ぜる展望を持ちます。

即ち、彼の言う“画の根蒂たる精神”をもって構図や色使いの根本を見直そうとしたのですね。

彼の描く西洋画は影をあえて紫色で描くなどの先鋭的な試みが取り入れられますが、それらは画壇から厳しく批判されました。

 

黒田は当時の美術誌において

(我々は)此のスケッチ時代を脱しなければならん。今の処ではスケッチだから、心持が現はれて居るが、スケッチでない画にも、心持を充分に現し得る程度に進みたい。私自身も今迄殆どスケッチだけしか拵へていない。之から画を拵へたいと思ふ。

意訳 (対象のありのままを切り取る)スケッチの時代を抜け出さないといけない。今の日本洋画はスケッチで対象を表現しているが、それに頼らずに対象を表現できるようになるべきだ。私自身もまだスケッチしか描けていない。

と述べています。

対象の本質的な部分を表現せんと模索したかったのでしょう。

しかしながら画壇に厳しく批判され続けた黒田はとうとうこれを諦めてしまいました。

鑑賞

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あらためて作品を見てみましょう。

黒田 清輝作『梅林』です。

 

この作品は絶筆(生涯最後の作品)です。

黒田清輝は1899年の作品を最後に構想画の模索を諦め、スケッチを主体とした制作へ回帰しました。

 

梅林は彼が亡くなった年に描かれた作品ですが、いったいどのような心境で筆を走らせていたのでしょうか。

文明開化を終えた日本へ意気揚々と帰国した黒田の心には、目覚ましく発展する日本洋画壇の姿があり、さらにその中核には構想画が存在していたはずです。

周囲から、そして自分自身が期待していた理想像は砕け散り、それでも筆を執り続けた24年の果てにこの作品は生まれました。

 

一見すると、彼の心を表すかのような荒れた野に見えるかもしれません。

しかしながら、それでも目を引くのは中央で力強く咲く梅でしょう。寒風吹きすさぶ野において、梅の花は命の限りの輝きを讃えています。

それは黒田の信念が消えぬまま再燃の時を待っていることを表すかのように見え、さらに荒々しく塗りたくるような技法にもそれを感じますね。

 

この作品は、まさに彼が目指した抽象性への可能性を体現していると言え、スケッチの域を脱しようとする黒田が死の間際まで葛藤していた様をありありと物語っています。

黒田清輝の57年の生涯を凝縮した作品と言えましょう。

 

この作品は東京国立博物館に収蔵されています。(外部リンクに接続します。)

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