“少女のための弔い” 河鍋 暁斎 作『地獄極楽めぐり図』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 地獄極楽めぐり図
- 画家 河鍋 暁斎(1831年~1889年)
- 制作時期 1870年ごろ
暁斎について
概要
河鍋 暁斎(かわなべ きょうさい)は幕末から明治時代に活躍した日本画家・浮世絵師です。
葛飾 北斎のように自身を画狂と認識し、流派を問わず多くの画術を貪欲に吸収しました。
それゆえに作品の幅も広く戯画から日本画、浮世絵に至るまで多くの作品を残しています。
周囲は彼を『画鬼』と呼びました。
生涯
作品背景
この作品は勝田五兵衛の娘である『たつ』のために画かれた作品です。
勝田五兵衛は、有力なパトロンとして独立した暁斎を支えた人物の一人でした。
そんな五兵衛は、最愛の娘が14歳の若さで夭折した際に暁斎へ仕事の依頼をします。
その内容とは供養画―つまり娘を弔うための作品です。
あの世へ旅立つ娘の旅路を祈るために、また自分の心を慰めるために五兵衛は暁斎に縋ったのでしょう。
暁斎はこれを引き受け、全40帖の長大な画集としてたつの旅路を飾りました。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
河鍋 暁斎 作『地獄極楽めぐり図』です。
例えば仏教のある宗派では、死者は何日もかけて浄土もしくは極楽への旅を行うと言います。
現世に残る人は、それを支援するという意味でも札打ちや四十九日の法要などを行うのですね。
また、罪人は閻魔大王の裁きにより地獄へ落ちたり、夭折した子供の一部は三途の川のほとり―賽の河原にて父母への弔いにて石積みを行ったりします。
即ち仏教においては、死後の旅の中でも人は修行をするのですね。
しかしながら、本作ではその前提の一部を認めていません。
本作では、夭折したたつが極楽へ至るまでの過程を連作の日本画として表現していますが、劇中の一部では閻魔大王や鬼のいる地獄も、仏のいる極楽も登場します。
それどころか、彼らが一同に宴を催すかのような場面まで画かれました。
彼らの目的はただ一つ、
“たつを慰めることです。”
右下で馬車に乗っているのが、たつでしょうね。
最愛の親とはぐれてしまった良い魂に対しては、鬼も仏も涙したのでしょう。
彼らは結託し、たつへあの世の見世物旅行をプレゼントしました。
この作品に関わらず、暁斎の画く鬼や閻魔大王はどこかユーモラスで情緒深く、また仏なども、まるで浮世の町人たちのように人間味に溢れています。
暁斎にとっては、神も仏も自身の画のキャラクターでしかなかったのかもしれませんね。
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