“浮世絵の祖” -菱川 師宣作『見返り美人図』を鑑賞する-
目次
作品概要
- 作品名 見返り美人図
- 画家 菱川 師宣(1618年~1694年)
- 制作時期 17世紀初期~中期(元禄期)
菱川師宣について
概要
菱川師宣(ひしかわ もろのぶ)は江戸時代初期に活躍した絵師です。
それまで挿絵の一種であった大和絵の版画を、元禄大衆文化を代表する浮世絵へと昇華させた偉人です。
彼の後には葛飾北斎や歌川広重といった名浮世絵師が生まれたことから、師宣はジャポニスムの源流の一人ともいえるでしょう。
生涯
菱川師宣の正確な生年月日は定かではありません。
それどころか画家として名を刻むまでの記録が全くないため、謎の絵師とさえ言われています。画家としての名声と反比例していますね。
画家としてのデビュー
画業も、初めは匿名で活動していたそうです。
それを公開したのは1672年(師宣 54歳)であり、百人一首絵本の挿絵を描いたそうです。
彼の画は大衆に好評だったそうで、その後も美人画の挿絵を多く手がけました。
美人画集は、今で言う写真集や大衆誌です。
太平の世になり、生活に余裕が出てきた江戸の町衆にはうってつけの娯楽ですね。
業務拡大
50代後半になると画家としての守備範囲を広げ、浄瑠璃や仮名草子なども手掛けるようになります。
これらは読者の性質や好みがまるで異なる読み物でありますので、同時に画の書き分けも必要になったことでしょう。
師宣はこのような経験から多種の画法や技術を習得したのですね。
そして歌舞伎画などで菱川師宣独自の様式を確立するに至ります。もはや人気は不動のものとなりました。
浮世絵の誕生
師宣は大衆からの人気を自負しつつもそれに胡坐をかくことなく精力的に活動します。
彼は休むことなく本を制作し、やがてそこから画だけを独立させました。
彼の描いた挿絵は一枚画としての完成度が高かったため、拡大しさらに墨一色のものを大量に作成することで一気に大衆に広まりました。
彩色されたものは鑑賞用として特に珍重され、元禄文化を代表する浮世絵が生まれたのです。
なお師宣は実子を含む多くの弟子とともに工房を営んでおり、これにより大量生産ができていたそうです。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
菱川 師宣作『見返り美人図』です。
鮮やかな朱い着物をまとった女性がこちらに振り向いた瞬間を切り取っています。
町衆をして、「菱川師宣の美人こそ江戸美人」と言わしめたそうですよ。
この帯の結び方は当時の流行りだったそうで、江戸の街並みや庶民の生活風景が浮かんでくるような作品です。
この作品は東京国立博物館に所蔵されています。
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