“ルネサンスの巨匠” 前編 ラファエロ作『アレクサンドリアの聖カタリナ』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 アレクサンドリアの聖カタリナ
- 画家 ラファエロ・サンティ(1483年~1520年)
- 制作時期 1507年ごろ
ラファエロについて
概要
ラファエロ・サンティは15~16世紀に活躍したイタリアの画家であり建築家です。
歴史と宗教に封殺されていた新プラトン主義を掘り起こし、それを芸術分野に取り入れました。
ラファエロの人生は37年と短いですがその功績は列挙しきれる量ではなく、ダ・ヴィンチやミケランジェロとともにルネサンスを支えた巨匠と言われています。
彼の作品は死後数百年に渡り、西洋絵画の模範とされました。
生涯
ウルビーノの青年画家
ラファエロ・サンティは15世紀末にイタリアの都市国家ウルビーノに生まれます。
彼の父親は公爵お抱えの宮廷絵師であり、ラファエロもまた幼い時から父親の手伝いをしつつ技術を磨いていたそうです。
当時のウルビーノ公国は公爵の配慮から文人や画家が厚遇されていました。
そのためラファエロは公爵のために筆を執りながら音楽家や詩人たちと積極的に交流し、自身の知見を増やしていったそうです。
孤独
ラファエロの母親は彼が8歳の時に亡くなっており、父親もまたその3年後に他界しています。
孤児となる前にラファエロは画家ペルジーノの工房に弟子入りしたと言われています。
その才能は師の予想を超えるものだったようで、教えのすべてを吸収し続けたそうですよ。
10代のころはペルジーノの助手としてフレスコ画の修復をしたり、独立後に教会の依頼で宗教画を描いたりしました。
放浪
20代の頃のラファエロはイタリア各地を旅しながら制作を行っていたそうです。
一応拠点をフィレンツェに置いていたそうですが、そこからイタリアの主要都市に出向き、各地の美術を学びながら依頼を受けて生活していたようです。
若干20歳前半の若者が独りでこれほどまで自立した生活ができていたのは、彼が深い教養としっかりした礼儀を身に着けていたからだと言われています。
もうひとりの巨匠との出会い
このころラファエロは最初の運命的な邂逅を果たしました。
“万能の天才”と言われ、このころすでにルネサンスを牽引していたレオナルド・ダ・ヴィンチとの出会いです。
ダ・ヴィンチの影響はすぐさま作品に現れ、特に生物学に基づいた人物描写などにそれが見受けられます。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
ラファエロ・サンティ作『アレクサンドリアの聖カタリナ』です。
ラファエロがフィレンツェで修業していた時代の作品ですね。
聖カタリナはキリストと結婚したことで知られるアレクサンドリア王女ですが、聡明だったためにローマ皇帝の学者たちを論破してしまいます。
ローマ教皇は怒り、カタリナを処刑してしまいました。
ラファエロは聖カタリナの肢体をしなやかな曲線で描いており、またそのポーズや視線の使い方は師匠ペルジーノやダ・ヴィンチの影響を受けていますね。
背景の建造物は抑え中央へ大胆に人物を配置する構図は、くしくも同じ時期に完成した『モナリザ』と非常に近しいものがあります。
構図、人物描写ともにルネサンスを象徴する作品と言えるでしょう。
この作品はロンドンのナショナルギャラリーに収蔵されています。
この記事へのコメントはありません。