“人生の明暗” -レンブラント作『夜警』を鑑賞する-
目次
作品概要
- 作品名 夜警
- 画家 レンブラント・ファン・レイン(1606年~1669年)
- 制作時期 1642年ごろ
レンブラントについて
概要
レンブラント・ファン・レインは17世紀のオランダ人画家です。
幼いころから絵画のみならず多くの分野に才能を発揮しており、画家としては明暗を巧みに表現した画法でオランダを代表する存在になりました。
今日でも当然その評価は高いですが、彼の人生は苦難に満ちていました。
生涯
レンブラントはオランダ、アムステルダム南西の町の製粉業を営む家庭に生まれます。
勉学の才に恵まれていたレンブラントは14歳の時に飛び級で大学に入学しました。
しかし、絵画やデッサンに強い興味を示したレンブラントを父親は芸術家のもとへ送ります。つまり大学は中退させられました。
本人のやる気を尊重した父親としての英断ですね。
そして18歳の時にはラストマンの弟子になり画家としての技術を学びます。同時に解剖学の本を熟読し、人体の構造を把握しました。
ラストマンのもとを離れ実家にアトリエを構えたレンブラントは多くの作品を創ります。
また、22歳のころからは弟子も作り、美術愛好家や貴族、王族の間で彼の名は広まっていったそうです。
24歳の時には父親が亡くなり、それを機にレンブラントは首都アムステルダムに移りました。
そして、従来の集団肖像画の常識を壊した傑作『テュルプ博士の解剖学抗議』を生み出します。
この作品は当時高い評価を得たそうですよ。
27歳の時にレンブラントは自身の親戚であるサスキアと出会い結婚します。
サスキアは裕福な家庭で生まれたため、持参金やコネクションも豊富だったようですね。
創作のための好条件が全てそろったレンブラントは意欲の赴くまま、ありとあらゆるものを対象に描きました。
その作品たちはいずれも良い評価を与えられ、レンブラントは大芸術家としての地位を確固たるものにしていきました。
が、この頃から彼の人生はゆっくりと綻び始めます。
1642年、レンブラントが36歳の時に名画『夜警』は誕生します。
これは芸術史に残る傑作となり、当時の画壇でも他の作品を相対的に凡庸なものにしてしまうほどの異彩を放ちました。
しかし、私生活では不幸が立て続けに起こりました。
1635年から5年にかけて彼は生まれた2人の子供と自身の母を亡くします。
そして『夜警』制作中には妻サスキアが体調を崩し、同作品完成と同じくして亡くなりました。
幸いサスキアとの間には唯一ティトゥスという息子を授かっています。
画家としての仕事を抱えていたレンブラントは乳母としてヘールチェを雇います。そして二人は恋愛関係を結ぶようになりました。
(尚、亡き妻サスキアの遺言によりレンブラントは結婚をすることができません。したがって彼はヘールチェを愛人としました。)
この頃からレンブラントは画家として、プライドの高すぎる振る舞いをするようになりました。
あくまで自身の創作に妥協を許さない心情のもとでの行動だったでしょうが、顧客を何ヶ月も待たせたり注文にないものまで描くようになります。
もともとレンブラントはかなりの浪費家でしたが、それは潤沢に入ってくる作品代で補われていました。
このような行動は当時のオランダで主流であったキリスト教改派(プロテスタント)では悪とされています。
また、ヘンドリッキエという家政婦と愛人になったためにヘールチェから訴訟を起こされました。
最終的にヘンドリッキエと愛人関係を結び、同時にヘールチェとは縁を切りましたがそのころにはレンブラントの所持金は底をつきます。
方々から借金をしたり、自身のコレクションを売り捌きながらお金を工面する日々が続きました。
54歳のころには息子ティトゥスも成人し、ヘンドリッキエとともに3人で画商を営みどうにか首をつなぐことができました。
レンブラントの最も大きな評価点は、このような絶望的な状況でも創作意欲を絶やさなかったことです。
むしろ創作にしがみつくかのように作品を創り続けました。
そして1669年にオランダを代表する画家はその生涯を閉じました。
なお、この前年に息子のティトゥスも亡くなっています。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
レンブラント・ファン・レイン作『夜警』です。
正式には『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊』という名前です。
自分も勘違いしていましたが、この作品の中で描かれているのは“昼間”の風景でした。
画面全体が暗く見えますし、そも名前が名前なので勘違いする方は多いでしょうが、経年劣化によりこのような様子になったそうです。
自警団が出動する瞬間を描いていますが、注目すべきは明暗の使い分けと細部までの妥協なき仕事ぶりでしょう。
前述したレンブラントの集団肖像画の技術の結晶ともいえるこの作品は、登場人物全員に効果的に照明があてられており、全員を主役に描くことに成功しました。
レンブラントはあのような悲劇の中にあって何故この絵を描くことができたのでしょう。
この作品はアムステルダム国立美術館に展示されています。
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