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“祖国の証人として” ゴヤ 作『マドリード、1808年5月3日』を鑑賞する

風俗画

作品概要

  • 作品名 マドリード、1808年5月3日
  • 画家 フランシスコ・デ・ゴヤ(1746年~1828年)
  • 制作時期 1814年

ゴヤについて

概要

フランシスコ・デ・ゴヤは18世紀~19世紀に活躍したスペインの画家です。

下積み生活は長かったものの、カルロス3世・4世つきの宮廷画家になってからは、ベラスケスと並ぶスペイン芸術界の至宝と言われました。

難病に罹り聴力を失うも秀作を多く描き、スペイン独立戦争の折には、祖国のために犠牲になった人々の惨状を、戦地で写生しています。

絶対王政下では、弾圧を避けてフランスへ亡命しました。

生涯

青年期

フランシスコ・デ・ゴヤは1746年にスペイン北東部の町に生まれました。

彼の父親は職人でしたが芸術を愛しており、ゴヤは14歳の時から地元の画家のもとで絵画の修業を始めます。

17歳と20歳の時に王立アカデミーに挑みまずが、いずれも残念な結果だったそうです。

 

24歳の時、自分の可能性を信じたゴヤは、イタリアに向かいました。そしてローマでルネサンスの英知や、フレスコ画の技法を学んだそうです。

翌年に帰国すると、地元の教会から依頼された天井画の仕事を行いました。

下積み時代と転機

27歳の時に、兄弟子だったバイユーの妹と結婚し、さらにバイユーのツテでマドリードのタペストリー工場での仕事を得ます。

工場ではタペストリーの下絵を描いていました。

ゴヤはこの工場で実に十数年間に渡り、地道に下絵の作業を行っていたそうです。

 

そんな彼に転機が訪れたのは、40歳の時でした。

時の国王 カルロス3世がゴヤを自身付きの画家に指名し、息子であるカルロス4世もまた彼を宮廷絵師として召します。

こうしてフランシスコ・デ・ゴヤは、遅ればせながらもスペイン芸術界最高の地位を獲得しました。

病魔

急転直下

ようやく栄光を掴んだゴヤの足元から、不幸は這い上がってきます。

 

最初の不幸は病魔です。

原因はいまだ議論されていますが、彼は病気によりその聴覚を失ってしまいました。

 

5感すべてを駆使して創作を行う画家にとって、それが欠けることは美の方向性が変わることと同義です。

ゴヤの精神はひどく揺らいだでしょう。

(しかしながら彼はこの後、音の無くなった世界で数々の傑作を描き続けました。)

戦争

続いて、ゴヤは戦火の不幸を被ります。

19世紀初頭、ナポレオン率いるフランス軍はすでにヨーロッパの多くの国々を手中に収めており、その手はついにスペインへ伸びました。

ナポレオンは自身の兄をスペインの王とし、この国を事実上の支配下に置きます。

これに怒ったスペイン国民は、新たな王政に激しく抵抗しました。世に言う“スペイン独立戦争”です。

 

ゴヤはこの頃、60代の半ばに差し掛かっていたため、武力ではなく筆で戦います。

そして本項で紹介する作品を始めとした戦争画、及び啓発画を描き続けました。

亡命

独立戦争が終結すると、スペインには幽閉されていたフェルナンド7世(カルロス4世の息子)が復権します。

しかし、国民の期待とは裏腹に、フェルナンド7世は自信を国の中心とする絶対王政を敷き、自由主義者たちを厳しく取り締まり始めました。

同じく自由主義者であるゴヤは、弾圧を避けてフランスのボルドーに亡命します。このときゴヤは78歳でした。

 

そしてその2年後にスペイン宮廷画家の肩書を捨て、さらに2年後の1828年にフランスのボルドーにおいて息を引き取りました

 

王のために筆を執ってきた、国を代表する画家は、このようなあまりにも不遇な幕引きでその生涯を閉じました。

ゴヤの亡骸はスペインへ持ち帰られ、現在はマドリードの礼拝堂内のパンテオンに眠っています。その天井には、在りし日のゴヤが描いたフレスコ画があります。

鑑賞

 

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あらためて作品を見てみましょう。

フランシスコ・デ・ゴヤ作『マドリード、1808年5月3日』です。

 

1808年2月、ナポレオンはポルトガルの占領を名目に、スペインへの侵攻を開始しました。

間もなくパンプローナとバルセロナは陥落し、貴族たちのクーデターで国王カルロス4世は退位します。そして続くフェルナンド7世は、王家ともどもフランスの南西部に追放されました。

 

5月の時点では、前述したフランス人国王がスペインを統治しており、マドリードの市民はこれに強く反発します。

しかしナポレオンは、自国最高の軍人と評したミュラをここへ向かわせ、反乱分子たちを一方的に虐殺しました。

民間人の死者は400人を超えるそうです。

 

作中ではその一場面が描かれており、両手を上げる無抵抗な市民たちを、フランス軍人たちが銃殺する瞬間が描かれています。

銃殺命令を受けたフランス軍でさえ顔を伏せており、この殺戮がいかに無情であったかを物語っていますね。

 

ゴヤはこの出来事に憤慨し、怒りに震えながら死体となったスペイン国民たちを素描したそうです。

聴力を無くし、さらに置いた体を引きずりながらこの光景を見たゴヤの心中は、到底はかり知ることはできません。

 

この作品はマドリードのプラド美術館に収蔵されています。(外部リンクに接続します。)

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