“満ち、溢れる” 川端 龍子作『愛染』を鑑賞する
Table of Contents
作品概要
- 作品名 愛染
- 画家 川端 龍子(1885年~1966年)
- 制作時期 1934年(昭和9年)
龍子について
概要
川端 龍子(かわばた りゅうし)は大正~昭和時代に活躍した日本画家です。
白馬会ならびに太平洋画会に所属していた龍子は、洋画家として自身のキャリアをスタートしたのち、アメリカにて故国日本の画の素晴らしさに気付き日本画家となりました。
そして幾たびの物議と称賛を経験しつつ、生涯にわたって自らの画業の中心となる『水』の表現を獲得します。
龍子の描き出した鮮やかかつ躍動感に満ちた水、また静謐にして深い精神性を孕んだ水は高い評価を得ました。
生涯
画家としての目覚め
幼少期、空を流れる鯉のぼりに心を動かされた龍子は、近所の職人のもとを訪れてその画き方を得んとしました。和歌山に生まれた龍子の、画家としての原点はここにあります。
10歳のときに東京に引っ越しますが、その8年後、読売新聞社主催の美術コンクールにて、彼の出した『西南戦争の熊本城』と『軍艦富士の回航』が見事入選し、2作品で40円の賞金を得ます。
この時、龍子が出展した作品は30点。手にした賞金は現在の価値にして100万円以上。並の学生たり得ない技術と熱量を持ち、そしてそれを生活の糧にする手管も覚え始めた龍子は、ここから本格的に画家としての大成を目指し始めました。
ただしそのキャリアは存外、白馬会絵画研究所と太平洋画会研究所に所属するという、純粋な洋画家のそれからスタートします。
黒田清輝の発足した白馬会。そして中村不折が開設した太平洋画会は、当時の日本洋画壇の二大潮流です。龍子はその両方を股にかけ、さらに多くの画家や文豪のパトロンを務めた修善寺温泉の新井旅館のバックアップのもと、遍く技術を習得して次世代の洋画家への道を進みました。
しかし28歳へ成長した大正2年。満を持して渡ったアメリカにて、龍子の人生を劇的に変える事件が起こるのです。
挫折と覚醒
渡米した龍子を迎えたのは厳しい現実でした。
西洋美術新進国からやってきた若者の描く絵など、誰も見向きもしません。そもそも当時のアメリカは、ヨーロッパからやってきたフォービズムやキュビズムによる前衛芸術の黎明期を迎えていました。後に世界的な抽象画家へと至るジャクソンポロックも、この流れの果てに生まれた存在です。
アメリカはヨーロッパ芸術の鮮烈なエネルギーに感動すると同時に、龍子の未熟な西洋画を歯牙にもかけなかったのです。
しかし、失意の中で龍子が見出したのは、以外にも故国の芸術の素晴らしさでした。西洋画家としての道に行き詰まりを感じていた最中、立ち寄った美術館で目にした鎌倉時代の絵巻物に龍子は感動します。
荒れ狂う海、武者たちの戦い、聞こえてくる雄たけびや金属音。そのエネルギーは彼のパッションを真の姿、すなわち日本画家としてのマインドに変化させたのです。
すぐさま帰国し日本画家へ転身した龍子。
同世代の日本画家と“珊瑚会”を結成すると、その年に院展に入選。さらにその後4年という異例のスピードで、日本画壇最大勢力だった日本美術院の一員へ。一躍、日本画壇の中心に身を投じたのです。
さらなる挫折、転機
大正10年。36歳になった龍子が発表したある作品が物議を醸します。
その時代、日本画は“床の間芸術”と呼ばれ、個人が小さな空間で作品を鑑賞する目的のものが主流でした。例えば、横山大観の『雨霽る』に代表される、小さい画面ながらも繊細にして優美、それでいて底知れぬ力を込めたような作品たちです。
一方の龍子の作品は、筆致の激しさや、画から溢れ出過ぎている膂力が印象的な荒々しいものでした。それにより、見る者を圧倒するどころか、見るに堪えないという評価まで出る始末です。彼がアメリカから持ち帰った日本画の情熱は、屏風にも和紙にも収まりきるものではなかったのですね。
それから8年の葛藤ののち、龍子は院展での作品発表をやめ、自らの求める日本画を表現するために青龍社の結成へと至ります。そして生まれた日本画は、従来の床の間芸術に対して“会場芸術”と呼ばれるようになりました。
表現の探求
龍子の画の強みはひとえに、“水”の表現の鮮烈さ。そして従来の日本画にはなかった、荒々しくも大胆で美しい、鑑賞者を引きずり込むインパクトにあると言えます。
例えば『鳴門』はその代表格であり、大作主義のもと画かれた荒れ狂う瀬戸の海は、深い群青と波の白の対比が美しい作品です。
一見すると葛飾北斎の神奈川沖浪裏に近しい雰囲気ながら、比較して明らかにスマートに見えるのは、龍子の作品に輪郭線が無いからでしょう。
この他、総長14mにも及ぶ大作『潮騒』などを通じて彼が会得した水の表現は唯一無二であり、当時の画壇では異端児とされながらも、のちの世では高く評価されました。


鑑賞

あらためて作品を見てみましょう。
川端 龍子 作『愛染』です。
2曲の屏風に画かれているのは、燃える紅葉を爛漫と湛えた水の上で遊ぶつがいのオシドリ。
オシドリは言わずと知れた、仲睦まじい男女の象徴ですが、”愛染”という言葉も仏教的な情愛を示したことばですね。
明鏡止水に落ち着いた深い青は、人間が本来持ち合わせている精神性ですが、それを埋め尽くし、さらには画の外まで溢れだしそうな程力強い赤は、熱情と劣情入り混じる人間の愛なのでしょう。
また、燃えるような胸中をオマージュした赤い水面と、それを悪戯に搔き乱すオシドリという構図は、多くの若者が持つ、独占欲にも似た焦がれる愛情や相手への肉欲も感じます。
表現方法だけに着目すると、この作品には龍子の武器である荒々しい水の表現がありません。しかし、静謐な水面とそこを撫でられた事によってできた波紋は、鑑賞者にしっかりと伝わります。これまでの龍子の作品を”動的”な水とするなら、こちらは対照的な“静的”な水の表現といえましょう。
人間の内面。抽象的な愛という感情を、自然の風景で表現した傑作です。
この作品は島根県安来市の足立美術館に収蔵されています。(外部リンクに接続します。)


























この記事へのコメントはありません。