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“人物に思いを寄せて” 尾形 月耕 作『後醍醐帝笠置山皇居霊夢之図』を鑑賞する

日本画

作品概要

  • 作品名 後醍醐帝笠置山皇居霊夢之図
  • 画家 尾形 月耕(1859年~1920年)
  • 制作時期 1904年(明治37年)ごろ

月耕について

概要

尾形 月耕(おがた げっこう)は明治~大正時代に活躍した日本画家・浮世絵師です。

裕福な家庭に生まれるも、元服の前後で家は没落し、月耕は独学で画術を修得しました。

生来の才能か努力の賜物か、彼の画師としての評価は瞬く間に高騰し、また晩年は国際的な展覧会でも活躍しました。

生涯

作品背景

史実に基づいた作品です。

 

鎌倉時代後期、後醍醐天皇は鎌倉幕府打倒と貴族社会の復権を画策した疑いをかけられました。

2度にわたるモンゴル帝国の侵攻(元寇)で疲弊し、御家人からの求心力も低下していた頃合いを見計らって画策したのでしょうか。

この嫌疑により、彼の側近の一人が六波羅探題によって処分されました。世に言う正中の変です。

なお、後醍醐天皇自身は無実を主張し、判決においても無罪を言い渡されています。

 

しかしその7年後、彼は再び倒幕を計画し、さらにその実行を待たずして内情が幕府方に漏れてしまいました。

拘束と処罰を恐れた後醍醐天皇は京都を脱出し、ついに挙兵をして鎌倉を目指したのです。

前述した通り、この頃の日本では元寇の余波により各地で反幕府を狙う勢力(悪党)が生まれ始めていました。

後醍醐天皇はそれらをまとめ上げ、時代を覆そうとしたのでしょう。

 

しかしながらその攻勢は鎌倉幕府側が若干優勢だったようで、後醍醐天皇は山城国(現在の京都)の笠置山にて捕らえられたそうです。

その時のさまは何とも惨めであり、先代の花園天皇はこれを“朝廷の恥”と罵りました。

後醍醐天皇は『天魔にそそのかされたた』と自身の身の潔白を主張しましたが、聞き入れられず島根県の隠岐の島へ流刑されます。

世に言う元弘の乱ですね。

 

最新の研究では、正中の変の時点では後醍醐天皇に倒幕の意志はなかったと言われています。

そもそもに、多くの文献から推測された彼の人物像は温和で情に深いものでした。

また学問を良く修め、歴代の天皇をはるかに凌ぐ知見や分析力を持っていたと言われており、地方分権の先駆けとなる政治体制を提案したと言われています。

事実、鎌倉幕府の滅亡後は建武の新政を取り仕切っていますね。

彼がなりふり構わず倒幕へ向かった根底には、それ相応の事情や追い込まれた原因があったとする研究者もいるそうですよ。

 

 

 

長くなりましたが、本稿で紹介する作品は元弘の乱における笠置山でのエピソードを表したものです。

 

笠置山に立てこもった際、後醍醐天皇は自身の身辺に有力な武将がいないことを案じていました。

そんな中彼は、自分が皇居にいる夢を見ます。

部屋から庭を見渡しますと、南向きに伸びたの木の下に役人たちが並んでおり、さらに上座が空席になっていることに気が付きました。

不思議に思って考えを巡らせていたところ、神託を受けた童子が現れ、『その席はあなた様のものです。』と伝え天へ帰ったそうです。

夢から覚めた後醍醐天皇は、これに何か深い意味があると考え、それが

“木”の”南”にいるもの → ”楠”という人物

であろうと結論付けました。

さっそくそのような人物を探したところ、自分と同じように倒幕を狙っているという“楠木 正成”に巡り合ったそうです。

鑑賞

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あらためて作品を見てみましょう。

尾形 月耕 作『後醍醐帝笠置山皇居霊夢之図』です。

 

夢の中で後醍醐天皇の下に2童子がおりてきた瞬間を、月耕らしい幻想的で優しい筆使いで画いていますね。

この作品は3つの作品の連結によってできていますが、画全体が薄く靄のかかるような雰囲気を醸し出しており、また非常に繊細な線が雰囲気を邪魔することなく情景を縁取っています。

天皇の表情は疲れの為かやや落ち込んでおり、肩を始めとした体の節々がうなだれていますね。

 

浮世絵師でありながら肉筆画の研鑽にも余念がなかった月耕は、練磨した技術によって数百年前の人間の葛藤を表現しました。

色遣いも、江戸時代の日本画にはない繊細さを持っており、薄氷のような色彩の数々が絡まり合って全体の雰囲気を形作っていますね。

 

後醍醐天皇の半生も記録されている“太平記”は、日本文化史に残るベストセラーですので、月耕もまたここから天皇の人物像やエピソードを研究したと考えられます。

月耕の感じたこの天皇の人物像は、やや現代よりであり、悲劇の中心にいた一人の人間に同情的なものだったのかもしれませんね。

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