“幽明の体現” -芳年作『月百姿 夕顔』を鑑賞する-

日本画

作品概要

  • 作品名 月百姿 夕顔
  • 画家 月岡芳年(1839年~1892年)
  • 制作時期 明治初期

芳年について

概要

月岡 芳年(つきおか よしとし)は幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師・日本画家です。

ジャンルを問わず数多くの作品を残した画家であり、また多くの画家を育てた日本画壇の功労者です。

しかしながら彼の描く作品の多くは残酷かつ無慈悲なものであり、一般大衆に忌避されることもありました(通称 血まみれ芳年)。

 

現代では再評価され川瀬 巴水同様、浮世絵復興の礎となった人物です。

生涯

芳年は明治維新から四半世紀さかのぼる天保10年に商家の息子として生まれました。

幼少の際に京都の画家に養子に出されたのち、12歳で浮世絵師 歌川 国芳の弟子となります。

 

ここで役者絵などの勉強をし、3年後には画本の挿絵を描きました。

 

26歳のときに画号を月岡芳年とし、兄弟子と競いながら錦絵(歌舞伎の名シーンの切り取り)を描きます。

この作品は非常に残酷な描写が多く、当時の人々に鮮烈な印象を与えたでしょう。

 

明治維新の際には実際に現場で戦いの様子を取材し、彰義隊と官軍の合戦を錦絵に残しました。

芳年に限らず多くの絵師は時代を映す鏡として活躍したのでしょうね。

 

明治初期の芳年は作品の低評価から神経を摩耗させていきますが、

明治6年には立ち直り、画姓を大蘇と改めます。

 

その後西南戦争の取材とその錦絵を描き、43歳のときには読売新聞の挿絵師として活動します。

もはやジャーナリストと言えるでしょう。

 

このころの芳年の弟子は80人を超えており、彼は明治日本画壇の第一人者でした。

芳年の弟子に対する態度は非常に厳しいものでしたが、同時に愛にあふれていたようです。

落語家 三遊亭円朝の噺には涙するほどの人情家で、古き良き日本人の手本ともいえるべき人物でしょう。

 

50歳を迎えるころに弟子の数は200人以上いたそうですが、自己の研鑽も怠らず浮世絵・日本画を描き続けたそうです。

芸術家としての視野も広く、先の可能性を見据えて弟子たちを洋画家に弟子入りさせたりしたそうですよ。

 

晩年は再び神経を病み、明治25年にその生涯を閉じました。尚、死の淵でも筆を握っていたそうです。

鑑賞

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あらためて作品を見てみましょう。

月岡 芳年作『月百姿 夕顔』です。

月百姿はその名の通り月をモチーフにした100作に及ぶ連作です。

明治を代表する作品群ですね。

 

そして夕顔は源氏物語に登場するヒロインの一人であり、北の方の嫉妬により非業の死を遂げた女性です。

幽霊画でありながら、怖さよりも悲しさと儚さを強く感じました。

また、霞んだ夕顔の花や月の表現が本当に素晴らしい。作品全体が夕顔の感情を表現していますね。

 

この作品はニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されています。

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