“歴史ある風習もまた美である” 川合 玉堂作『鵜飼』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 鵜飼
- 画家 川合 玉堂(1868年~1958年)
- 制作時期 1954年(昭和29年)
玉堂について
概要
川合 玉堂(かわい ぎょくどう)は明治~大正時代に活躍した日本画家です。
彼は幼少期から美術に精通しており、京都で日本画を修めました。
また、岡倉天心や横山大観らが創設した日本美術院にも参加しており、今日の日本画壇の礎を築いた画家の一人と言えます。
生涯
作品背景
鵜飼(うかい)は、中部地方を中心に行われている伝統的漁法です。
水鳥である鵜は、水中の魚を丸呑みにする性質を持っており、鵜の首を縛ることで喉の途中で魚を留めておくことができます。
その状態から魚を吐き出させることで、効率よく漁ができるのですね。
基本的には松明に集魚灯の役割を持たせ、魚を船の近辺までおびき寄せ、そこへ複数の鵜を放ち漁を行います。
鵜飼の歴史は非常に古く、最古までさかのぼれば神武天皇の時代へ行きつくそうで、
日本書紀の神武天皇の項に、鵜飼を初めて見た天皇がこれを不思議がるような記述があります。
また、6世紀ごろに作られた群馬県の古墳には鵜飼を模した埴輪が埋葬されているほか、戦国時代には織田信長から特別な地位と俸禄を与えられたそうです。
即ち鵜飼は、日本文明の最初期から現代に至るまで連綿と続いている文化なのですね。
鵜飼の文化的拡大は海外にまで及び、中国では隋の時代に鵜飼が日本から紹介されたそうです。
また、17世紀ごろにはヨーロッパ諸国の宮廷における貴族の娯楽として広がりました。一説によれば、日本を経由したオランダ人らが鵜飼を紹介したそうです。
明治時代に鵜飼は途絶えかけましたが、現在では鵜飼そのものがある種の文化遺産となっており、岐阜県の長良川では宮内庁の保護のもとで毎年鵜飼が行われているそうです。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
川合 玉堂作『鵜飼』です。
題名の通り、急流で鵜飼が行われている様子が画かれていますね。
川合 玉堂は愛知県の出身で、地元には木曽川がありました。
木曽川では当時はもちろん、現代でも毎年鵜飼が行われています。地元では夏の風物詩なのでしょう。
作品は全体的に優しい筆致で画かれており、輪郭線も細く滑らかです。
一方で、影を含む塗りは非常に大胆に行われていますね。
木や岩肌はまるで墨が飛び散ったかのように勢い良く画かれており、勇壮な鵜飼の風景を間接的に醸し出しています。
また夜に輝く松明と煙による靄の効果が実に良い。
舟の後方は煙の彼方に消え、先頭の松明が闇夜を照らすという非常に幻想的な風景
玉堂が地元の風習をいかに尊んでいたのかがよくわかります。
さらに、玉堂の真骨頂である人物描写も見事です。
彼は日本の四季折々の山河やそこで暮らす動植物・人間の営みをこよなく愛していました。
玉堂の画いた鵜匠たちは皆顔や動きが生き生きとしており、自分の仕事への誇りに満ちています。
玉堂は1300年続く伝統と、そこに生きる人々そのものに美を感じたのでしょうね。
この作品は東京富士美術館に収蔵されています。(外部リンクに接続します。)
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