“鮮烈な時代の到来” 横山 大観作『紅葉』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 紅葉
- 画家 横山 大観(1868年~1958年)
- 制作時期 1931年
大観について
概要
横山 大観(よこやま たいかん)は明治・大正・昭和にかけて活躍した日本画家です。
近代日本画壇を作り上げた画家の一人であり、昭和12年に第1回文化勲章を授与されました。
大観はそれまでの日本画にはなかった新しい試みに積極的に挑戦し、日本画の新境地を開拓します。
それらは線の描き方や顔料の伸ばし方など多岐に及び、統一して“朦朧体”と呼ばれました。
生涯
制作背景
1929年アメリカの株式市場から始まった株価の暴落は、瞬く間に世界へ波及し世界恐慌となりました。
日本もその例に漏れず、WWⅠ時の大正バブルの栄光は昭和恐慌に塗り替えられることとなります。
横山大観がこの作品を画いたのは、景気回復の目処も立っていない1931年でした。
師である岡倉 天心や妻 直子の逝去からは既に20年が過ぎようとしており、大観はさらなる日本画の可能性の模索を続けていました。
1926年(昭和元年)には福井県に滞在し、当時世界最大の紙を制作します。これが実際に大観の作品に使われたかはわかりませんが、パイオニア的在り方がよくわかるエピソードです。
彼にとっては、世の中の情勢や経済危機は小耳にはさむ噂話程度の存在だったのかもしれませんね。
また、1928年にはイタリアのファシストであるムッソリーニへ作品を送っています。
そして『紅葉』を完成させた1931年に、大観は帝室技芸員の栄誉を賜りました。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
横山 大観作『紅葉』です。
六曲一双の屏風に描かれた作品ですね。
目を引くのは何といっても、燃えるような紅葉と鮮やかな群青のコントラストでしょう。
そしてそれらを演出するのは、白金泥の川岸です。
今からおよそ90年前に画かれたとは到底思えない、モダンかつビビットな風景画であり、一つの理想郷を体現した日本画と言えます。
当時の日本画界は、速水御舟を始めとしたこのような挑戦的な構図や色彩を持った作品が多く出始めていました。
それらは、江戸時代までの日本画の価値観では到底許されないような作品ばかりですが、これこそが岡倉天心やアーネスト・フェノロサが目指した新時代の日本画と言えましょう。
朦朧体で画かれた靄の上を飛ぶセキレイがまた優雅で良いですね。
この作品は島根県の足立美術館に収蔵されています。(外部リンクに接続します。)
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