“浮世絵の写実性” -喜多川 歌麿作『ポッピンを吹く女』を鑑賞する-
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作品概要
- 作品名 ポッピンを吹く女
- 画家 喜多川 歌麿(1753年~1806年)
- 制作時期 18世紀末(寛政期)
喜多川歌麿について
概要
喜多川歌麿は江戸時代中期に活躍した浮世絵師です。
田沼意次の行った悪しき改革に続き、寛政期の江戸では老中 松平定信による寛政の改革が行われます。
経済が緊迫し農民人口が減る中、歌麿は人々に癒しとなる大衆娯楽 美人画を与えました。
しかしながらその出自は謎に満ちています。
生涯
画家としてのデビュー
喜多川歌麿が死没した年齢及び年代から逆算すると、彼は宝暦3年に生まれたようです(土地は不明)。
17歳の時に俳書の挿絵を画き、画家としてデビューすると、芸者画や狂歌本を生み出します。
浮世絵師は画くジャンルを広げない方が多いですが、歌麿はそれが特に顕著ですね。
多くの題材は彼にとって美人を画く口実でしかなかったのでしょう。
寛政の改革
歌麿が17歳の時日本は天明の大飢饉に見舞われます。
農民は100万人以上が亡くなり、米の生産量が減少したことによる波紋は幕府はおろか日本全体に及んでいました。
松平定信は都市に流入していた農民を地方へ帰し、緊縮財政を行うことによりこれを乗り切ることとしました。世に言う“寛政の改革”です。
歌麿はそんな時代において、安価な美人画を制作し人々の心の拠り所を作ったのですね。
幕府は彼の画く浮世絵に対し、風紀を乱すとして厳しく取り締まりましたが、歌麿もまた策を講じ画き続けます。
晩年
51歳の時に画いた作品は豊臣秀吉の花見をテーマにしたものです。
これは江戸幕府の逆鱗に触れ、歌麿は2ヶ月弱投獄されました。そしてその際に病を患い、2年後に亡くなりました。
晩年は制作依頼が殺到し、歌麿もまたそれに答え続けたそうです。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
喜多川歌麿 作『ポッピンを吹く女』です。
ポッピンとはガラスでできた音の鳴るおもちゃの一種であり、またの名をビードロと言います。
歌麿は主役の顔を中心に持ってくる構図を編み出しました。これにより登場人物の表情を詳細に描くことができ、また画全体のバランスが良くなります。
歌麿の描く女性は皆艶めかしく男女問わず人々を魅了したため、モデルとなった人物もまた都度話題になったそうですよ。
喜多川歌麿の弟子は彼の2代目を名乗り出ましたが、師の才覚には遠く及ばなかったそうです。
この作品はハワイのホノルル美術館に所蔵されています。(外部リンクに接続します。)
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