“江戸に彼女らあり” 喜多川 歌麿 作 『寛政三美人』を鑑賞する

浮世絵

作品概要

  • 作品名 寛政三美人
  • 画家 喜多川 歌麿(1753年~1806年)
  • 制作時期 18世紀末(寛政期)

歌麿について

概要

喜多川歌麿は江戸時代中期に活躍した浮世絵師です。

田沼意次の行った悪しき改革に続き、寛政期の江戸では老中 松平定信による寛政の改革が行われます。

経済が緊迫し農民人口が減る中、歌麿は人々に癒しとなる大衆娯楽 美人画を与えました。

しかしながらその出自は謎に満ちています。

生涯

作品概要

富本節の奏者でもある、芸者の富本豊雛(とみもと とよひな)、ともに茶屋の看板娘であった難波屋のおきた高島屋のおひさ

彼女らは江戸時代の寛政年間において、他に並ぶものなしとされた美人たちです。

 

江戸時代では、口は小さく鼻筋が通り、切れ長の表情を持つ女性たちが美人とされていました。

(日本人がぱっちりとした目に美意識を感じるのは、西洋の女性たちに触れ始めた頃からかもしれません)

それをまさしく表しているのが、浮世絵の美人画でしょう。

特に、美人画を追求するあまり幕府から目を付けられていた歌麿にとって、彼女たちとの出会いは天からの宝札と言えます。

 

自身の創作のためのモデルを探していた歌麿は、噂をアテに方々の女性を探していました。

そんな折、浅草寺でおきたを、両国でおひさを、吉原で豊雛を見つけると、すぐに彼女らを口説き落とし、その美貌の補完に着手したのです。

異性ならず同性すらも魅了する美女が揃い踏んだ浮世絵は、当然飛ぶように売れ、また歌麿の作品の影響で彼女らの名もさらに広まったそうです。

鑑賞

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あらためて作品を見てみましょう。

喜多川 歌麿 作『寛政三美人』です。

 

この作品より約百年前、菱川師宣は見返り美人図を始めとした作品群で、浮世絵を一つの芸術に昇華させました。

そのころは“師宣の美女こそ江戸の美女”と称されていたそうです。

 

しかし喜多川歌麿は研鑽と研究の果てに、師宣の確立した立美人という概念を覆しました。

即ち、人物の顔に画面を集中させることで、美しさをより大胆に表現したのです。

当然、体を省くことは鑑賞・評価の楽しみを著しく減らすことになりますが、歌麿は無線摺朱線といった新たな技法で美女たちの肉感や肌の質感を再現します。

また彼の作品はことごとく背景が簡素に画かれていますが、これは人物たちに自然とフォーカスがあてられるように考えられたものです。

ここに歌麿の美人画の時代が始まったのですね。

 

この作品はボストン美術館などに収蔵されています。(外部リンクに接続します。)

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