“新たな時代の創造” 後編 クロード・モネ作『睡蓮』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 睡蓮
- 画家 クロード・モネ(1840年~1926年)
- 制作時期 1916年ごろ
モネについて
概要
クロード・モネは19世紀のフランスの画家です。
当時軽んじられていた風景画の制作をの中で独自の技法を次々に編み出し、ルノワールやシスレーらとともに、のちに印象派と呼ばれる画風を築いた人物です。
現代の価値観と異なり存命中のモネの評価は終生高くありませんでしたが、彼は一貫して印象主義絵画を作り続けました。
また、浮世絵を始めとした日本文化の収集家、所謂ジャポニザンでもありました。
生涯
自宅に日本庭園を
50代半ばに差し掛かるころ、モネは自宅とは別に土地を購入しそこへ日本風の庭園を造りました。さらにそこへ水を引き睡蓮を咲かせた池を作ります。
彼はこれを“水の庭”と名付け、本稿で紹介する作品を始めとした多くの連作を制作しました。
池には日本風のアーチ橋が架かり、花と水の光も浴びながら四季折々の表情を見せてくれます。
モネは飽くことなくここでの風景を描写したのでしょうね。
61歳の時にはこの池をさらに拡張し、連作『睡蓮』の第2弾を描いています。
晩年の苦悩
モネは70歳の時に息子と後妻を亡くしました。
このころは白内障により視力が低下しており、絵の具の色さえ判別できなくなったそうです。
さらに共に戦ってきた印象派の画家たちも世を去り始めたため、モネは錯乱し自らの画を引き裂くこともあったそうです。
そんな彼は気分転換のために自宅に多くの友人を招き、料理や談笑を楽しみました。
そして多くの仲間に支えられながら、最後の大作の制作に着手するのです。
最後の大仕事
70歳のはじめ頃、モネは睡蓮の大装飾画の作成を計画します。
折しもヨーロッパでは第1次世界大戦が始まりましたが、フランス政府に画家として協力していたモネは優先的に物資を供給してもらうことで、この計画も進めることができたそうです。
なお当時の首相はモネの友人だったそうで、彼は戦争の勝利を祝ってこの作品を国に寄贈することにしました。
その大きさは見るものを全員圧巻させるもので、キャンバスサイズは高さ2m・幅4.3mもあります。
さらに同キャンバス4つの連作であり、作品展示には専用の部屋が作られました。
批判されながらも自身の芸術を探求してきた画家は、ついに絵画で国を牽引する英雄になったのですね。
モネは残りの寿命をとしてこの作品の制作にかかり、完成後まもなくその生涯を閉じました。
この大作はパリのオランジュリー美術館に展示されています。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
クロード・モネ作『睡蓮』です。
睡蓮の中でも、”水の庭”拡張後に作られた2回目の連作のものですね。
こちらの連作には基本的に太鼓橋が描かれておらず、睡蓮と水面、そしてそこに映る空にフォーカスが当てられています。
往年の作品に比べてこちらの作品は色使いがさらに柔らかくなっていますね。
モネは日本の文化に対して、
「日本人のまれに見る趣味の良さはいつも私を魅了してきた。影によって存在を、断片によって全体を暗示するその美学に、私は共感をおぼえる」
と語っています。
この作品もまた従来の西洋画の価値観にとらわれず、まるで池の中に入って描いたかのような接近した構図で仕上げています。
水面に映った空は広い景色を作り出し、睡蓮やまわりの空気が画家の心を映し出す、そんな作品のように思えますね。
この作品は東京の国立西洋美術館に収蔵されています。
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