“それは悟りのためなのか” 雪舟 作『秋冬山水図 -冬景-』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 秋冬山水図 冬景
- 画家 雪舟(1420年~1502年)
- 制作時期 1470年ごろ(室町時代)
雪舟について
概要
雪舟は室町時代に活動した日本の水墨画家です。
明(現在の中国)で山水画を学び、帰国後にそこへ独自の解釈と技術を加えました。
雪舟が本格的に評価され始めたのは彼の死後ですが、その影響は今日の日本画壇にも及んでいます。
生涯
武家からの出家
雪舟は1420年(応仁27年)に岡山県の武家に生まれます。
しかし、幼い頃に出家した雪舟は生家の近くの寺にて文芸を学び、10歳ごろには京都の寺にて禅や大和絵の修業を積みました。
当時の日本では絵もまた禅の修行の一つとされており、よって大成した後の雪舟の作品にも深い精神性が現れます。
彼が学んだ寺はともに禅宗、臨済宗の寺であり、その本質的な目的は“禅の修行による悟りへの到達”です。
その起源は中国にあり、鎌倉時代に栄西によって日本に伝えられました。
独立と留学
雪舟は34歳の頃に大名大内氏のはからいにより画室(アトリエ)を構えます。そしてさらに8年後に雪舟という画号を得ました。
明(現在の中国)に留学したのは47歳の時であり、ここで2年間にわたり山水画の勉強をします。
しかしながらその目的が禅のためなのか、はたまた純粋に画術の追求なのかはわかりません。
留学先での雪舟の評価は高く、すでに彼は山水画に自身のアプローチを加えた独自の世界を作り上げていたそうです。
帰国
50歳を目前にして雪舟は帰国し、日本各地で制作を行います。
また、この時すでに室町幕府の将軍家とも懇意にしていたようで、創作活動に並行した各地の情勢調査なども行っていたそうです。
評価の確立
日本画家としての雪舟の評価が高まったのは江戸時代からです。
理由は、江戸時代の画壇の中心にいた狩野探幽を始めとする狩野派の画師たちがこぞって雪舟を模範としたからです。
やがて雪舟は神格化され、狩野派を求める諸大名たちにもその精神は伝搬しました。
狩野派は江戸時代のインフルエンサーだったんですね。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
雪舟作『秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)』です。
明から帰国した直後に画かれた作品ですね。
その名の通り画かれているのは秋と冬の情景で、中でもこの作品は冬の景色を画いた方です。
画の中央には亀裂のように走る太い線がありますが、これは断崖を象徴するためにわざと使われた南宋画のテクニックであり、
注目してみると、線の下部は山の輪郭を画いていることがわかります。
一つの風景の中に別のベクトルから見た風景を混ぜることで見る者へ本質的なイメージを与えているのですね。
これはある種のキュビズムと言え、雪舟は西洋画が20世紀にたどり着いた境地に500年も前に到達していたと言えます。
これもまた自然の本質を見抜かんとする禅の教えから生まれたものなのかもしれません。
この作品は国宝に指定され、現在は東京国立博物館に収蔵されています。
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