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“ルネサンスの巨匠” 後編 ラファエロ作『アテナイの学堂』を鑑賞する

宗教画

作品概要

  • 作品名 アテナイの学堂
  • 画家 ラファエロ・サンティ(1483年~1520年)
  • 制作時期 1509年ごろ

ラファエロについて

概要

ラファエロ・サンティは15~16世紀に活躍したイタリアの画家であり建築家です。

歴史と宗教に封殺されていた新プラトン主義を掘り起こし、それを芸術分野に取り入れました。

ラファエロの人生は37年と短いですがその功績は列挙しきれる量ではなく、ダ・ヴィンチミケランジェロとともにルネサンスを支えた巨匠と言われています。

彼の作品は死後数百年に渡り、西洋絵画の模範とされました。

生涯

ローマへ

25歳になったラファエロは教皇の誘いでローマへ移住しました。そしてここがラファエロの終生の地となるのです。

彼はヴァチカン宮殿の4つの部屋の装飾画の制作を行いました。

のちに“ラファエロの間”と呼ばれるこれらの部屋はヴァチカンでも最高の応接室の一つになります。

 

この時同じくヴァチカンのシスティーナ礼拝堂ではミケランジェロが天井画を制作していました。

この作品からインスピレーションを得たのか、ラファエロは同じ構図と思われる人物などを自身の作品に登場させています。

巨匠へ

ラファエロは教皇とその後継者らと良好な関係を築き、彼らをパトロンとして多くの仕事を引き受けました。

“ラファエロの間”のほか、ヴァチカン宮殿の廊下などにも彼の装飾が施されており、また教皇などの肖像画も手掛けています。

ルネサンスの技術を人型に結晶化させたようなラファエロは、まさに時代の寵児であり、名実ともに巨匠となったのです。

 

工房には50人を超える弟子たちがいたそうで、これは当時の水準のはるか上を行く大所帯です。

弟子たちの技術もまた軒並み高く、これは彼が自身の絵画術を効率よく弟子に分け与えていたことを示しています。

晩年

30歳を越えたころ、ラファエロはローマ教皇からナイトの爵位を与えられます。

また教皇の側近としての役割も与えられており、教皇庁内での彼の地位は非常に高かったそうです。

 

反面、私生活は現代の価値基準で考えると良いものではありませんでした。

彼は一貫して独身を貫いていましたが、代わりに多くの愛人を囲っていたそうです。

一応、メディチ家の女性と婚約をしていましたが、ラファエロとしては結婚に乗り気ではなかったそうで、さらにその女性が死去したため婚約は解消されています。

 

ラファエロが最も愛した女性はパン屋の娘のマルガリータです。そして彼の死の遠因となったのもこの女性でした。

 

ラファエロはマルガリータと逢瀬を重ね、その肉体に深くのめり込みました。

そして体調を鑑みずこれを続けるうちに彼は熱病に侵されます。

ラファエロは2週間病魔と闘いますが、とうとう回復せず逝去したそうです。

若干37歳の若さでした。

鑑賞

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あらためて作品を見てみましょう。

ラファエロ・サンティ作『アテナイの学堂』です。

ローマ時代の作品にしてラファエロの最高傑作ですね。

 

描かれているのは古代ギリシャの研究機関であり、多くの哲学者たちでにぎわう様子が伝わってきますね。

“ルネサンス”において古代ギリシャとは聖地そのものであり、多くの知恵を与えてくれる源泉と言えましょう。

 

その信仰心を示すようにこの作品には高度に計算された遠近法が用いられています。

アーチの向こうには本当に空間が広がっているかのように見えますね。

また奥にはギリシャ神話に登場する神々の彫刻が描かれています。

 

 

この作品はヴァチカン宮殿に今も残っています。

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