“イングランドの奇才” ターナー 作『雨、蒸気、速度』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 雨、蒸気、速度
- 画家 ウィリアム・ターナー(1775年 ~ 1851年)
- 制作時期 1844年ごろ
ターナーについて
概要
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは18~19世紀に活躍したイングランドの画家です。
イギリスは長らく西洋美術界の表舞台に立てませんでしたが、彼の時代ごろから徐々に知名度を増していきます。
ターナーはイングランドのロマン主義画家として、批判を浴びることがありながらも自身の芸術を追求し続けました。
生涯
ウィリアム・ターナーは1775年にロンドンの理髪師の息子として生まれました。
3歳下の妹は生まれて5年で他界し、母親は精神疾患のためにターナーの育児がなかなかできなかったようです。
ターナーは学校教育すらまともに受けることができないという特殊な環境で育ち、かわりに風景画家のもとに13歳で弟子入りしました。
言語や数学などの学習をしなかったターナーの頭脳は、かわりに芸術のための素養を貪欲に吸収します。
15歳で王立芸術院の付属学校に入学すると、24歳の時に同院の準会員となりました。
これは当時としては異例の若さです。
初期の活動
アカデミーの会員となったターナーは、同院にウケの良い写実的な風景画を描き、その甲斐あってパトロンに恵まれた順風な画家人生を進めました。
ただし、雲や光の表現には、この頃から叙情的でロマン主義の感じられる技法が表れています。
ターナーとパトロンの関係は実に20年に及んだそうですので、イングランド画壇のターナーへの期待は大きかったことがわかりますね。
転機
ターナーは44歳の時にイタリア旅行へ行きました。
イタリアはルネサンスを始め西洋芸術のメッカでしたので、芸術後進国であったイングランドの画家たちにとってはいつでも憧れの場所だったそうです。
また北方のイギリスとは異なり、燦燦と日光の降り注ぐ地中海の都は、我々にとってのハワイのような別天地に感じたことでしょう。
ターナーは特にヴェネツィアを気に入り、何度もこの町をスケッチしたそうです。
また、この旅行での感動は彼の作風にも徐々に目に見えた変化を与えました。
即ちその感動をキャンバス上に抽象的に表現したのです。
問題作
ターナーの作品は徐々に写実性を失っていきます。傍から見るとそれは、画家の気が狂っていくように感じられたでしょう。
そして67歳の時に制作された『吹雪』が、ついに画壇の堪忍袋の尾を切りました。
冬の荒れた海を行く蒸気船を描いたこの作品は、その熱量が全て風や水の表現に注がれた為に、メインとなるべき蒸気船がただの絵具の塊と化していたのです。
大自然のエネルギーそのものを描かんとしたターナーは、マストに自身を括り付けてデッサンを行ったそうですが作品の評価は最悪で、人々からは石鹸水で描かれた絵と蔑まれたそうです。
現代での評価
当時でこそターナーは散々な品評を与えられましたが、印象主義を先取ったこの試みは現代で高く評価されています。
また多くの印象主義者たちのテーマが“明るさ”や”感動”であったのに対し、ターナーは自身の感じた自然の”獰猛さ”を表現している点もポイントが高いです。
当時のイギリスは産業革命の影響で、世界有数の工業国になっていましたが、それに伴う公害問題などが彼の心に暗い影響を与えたかもしれません。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
ウィリアム・ターナー 作『雨、蒸気、速度』です。
霧が立ち込め、また雨が暴れる中を行く、グレートウエスタン鉄道を描いた作品ですね。
これは『吹雪』制作の2年後に描かれていますが、吹雪同様に、自然の激しさを描かんとした画家としての精神が良く分かりますね。
また、ボイラーの火が汽車の獰猛さを表現しており、まるで“人間と自然の闘い“のようにも思えます。
彼が目指したのはある種“空気”の表現方法的模索であり、ターナーが批判をものともせず自身の芸術を探求し続けていたことは明白に分かります。
ターナーにとって主題は空気を描くための副次的要素でしかなく、この光景を目にしたときに感じたものこそが本当に表現すべきものだったのかもしれません。
それは写真では表現できない、絵画に許された唯一の力です。
この作品はイギリスのナショナルギャラリーに所蔵されています。(外部リンクに接続します。)
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