“それは画家の叫び” 後編-ムンク作『星月夜』を鑑賞する-

風景画

作品概要

  • 作品名 星月夜
  • 画家 エドヴァルト・ムンク(1863年~1944年)
  • 制作時期 20世紀前半

ムンクについて

概要

エドヴァルト・ムンクは北欧ノルウェー生まれの画家です。

17歳の時に王立絵画学校に入学し、芸術の道に進みました。

 

彼の代表作は何と言っても『叫び』でしょう。

見る人の多くを不安にさせるこの絵は、ムンクの生涯を象徴した作品といえます。

ムンクをはじめとしたこの時代のヨーロッパの画家の多くは写実性を捨て、人間の心理的な側面を描くようになりました。

のちに『世紀末芸術』とよばれるこれらの傾向は時代を映した鏡としても貴重なものです。

 

彼の晩年は戦争とともにありました。

そして荒廃していく社会の中でムンクは、下級層とも言える労働者の生きざまに美しさを見出します。

退廃的と非難されながらも彼は筆をとり続けました。

生涯

静養、帰国

ドイツでの個展が終わりしばらくたったころ、ムンクは自らの足でデンマークの精神病院に入院しました。恋愛の疲弊からアルコール依存症になったためです。

ムンクは苦しみながらも自身を客観的にとらえていますね。こうした心理的観察眼が彼の画家としての才能の一つだったのでしょう。

また入院中には治療の一環として詩集を執筆しますが、この時からムンクは物書きとしての一面も持つようになります。

 

退院後は母国ノルウェーに戻り、アトリエを構え制作活動に専念しました。

そしてこの時期にムンクは『家路につく労働者』を始めとした“労働者シリーズ”を描きます。

 

なお、彼は描き切った作品を野ざらしにしてわざと劣化させます。画家として到底信じられる行為ではありませんが、彼曰く、絵の具が落ち着くそうです。

第一次世界大戦

ムンクの人気は本国はもとよりドイツで高かったそうです。その証拠にドイツにはキルヒナーオットー・ミュラーといった画家たちがムンクの影響を多分に受けています。

しかし、戦時中のノルウェーはドイツへの敵対心が強く、ムンクへの支持もまた反転するようになりました(ノルウェー自体は中立を表明しています)。

戦前から制作していたとある大学の壁画はその代金を値切られたりしたそうですよ。

戦後

53歳以降はオスロの郊外に引っ越し、そこから見える人々や風景を描くようになります。

なぜか“お金持ち”というあらぬ噂を立てられ、いたずらをされたこともあったようですが本項で紹介する『星月夜』を始めとした傑作を生みだし続けます。

ただし、彼の描く労働者をテーマとした作品の数々は鑑賞者の好き嫌いを明確に分けました。本質的に暗いテーマが多かったため、戦争で疲弊していく社会には受け入れがたいものがあったのでしょうね。

第二次世界大戦

苦難の中に合っても制作をつづけたムンクは70歳になるころにドイツ、ノルウェー、フランスの3ヶ国から勲章を与えられました。

しかしそれから間もなくして第二次世界大戦がはじまり、ムンクの描いた作品たちは“退廃的”だとしてドイツに否定されます(この時ドイツはナチス政権でした)。

そして80歳を迎えた直後に自宅近くで爆発が起こり、窓の割れてしまった自宅でムンクは寒さにより気管支炎となります。

高齢であったがゆえに、エドヴァルト・ムンクはそのまま息を引き取りました。

 

さらに彼の葬式はナチス主催によるドイツでの国葬となりました。

政権は彼の芸術を批判していましたが、国民から人気の高いムンクの国葬は宣伝になると考えたのでしょう。

彼は棺の中で何を思ったのでしょうね。

鑑賞

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あらためて作品を見てみましょう。

「星月夜」は1923年ごろに制作された作品です。

ムンクが晩年を過ごした家から見えた風景を描いたものですね。

 

この頃は人をモデルにした絵画を多く描いていますので、この作品は少し意表をついたものかもしれません。

しかしこの作品からも、彼のテーマである『生命のフリーズ』『労働者』を確かに感じることができます。

 

遠くに見える街の明かりからは人の息遣いが伝わり、星々はそれを優しく眺めています。

労働者たちは今日を力の限り生き、夜は明日への英気を養うのでしょう。

悲鳴を上げる社会の中でもっとも輝いている者たちを、ムンクは絵の中に留めたかったのでしょうね。

 

同名の作品をオランダのゴッホが描いていますが、こちらの作品は土地柄いっそう寒そうに見えますね。

 

この作品はノルウェーのムンク美術館に所蔵されています。(外部リンクに接続します。)

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