“敗者に敬意を” ベラスケス 作『ブレダの開城』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 ブレダの開城
- 画家 ディエゴ・ベラスケス(1599年~1660年)
- 制作時期 1635年ごろ
ベラスケスについて
概要
ベラスケスはバロック期のスペインの画家です。
スペイン絵画の黄金時代を代表する画家であり、マネは彼を『画家の中の画家』と呼んだそうです。
ベラスケスは時の王フェリペ4世からの厚遇を受けており、ベラスケスもまたその行為に応じるように宮廷画を描きました。
また、宮廷装飾責任者や応急配室長といった役職も賜っており、貴族・役人としても活躍しました。
生涯
初期
ディエゴ・ベラスケスは1599年にスペインのセビリアに生まれました。
出生や家系については未だに議論がされていますが、改宗したユダヤの家系であるという説が有力ですね。
11歳の頃に地元の有力画家のもとへ弟子入りすると、18歳で独立し、さらに師の娘と結婚しました。
始めの頃は“ボデゴン”と呼ばれる、室内や静物をモデルにした作品を制作していたそうです。
後世に語り継がれる宮廷画家のイメージとはかけ離れたものですね。
運命の邂逅
“後世に語られる宮廷画家”への分岐点となったのは1623年、彼がまだ24歳の年でした。
ベラスケスはマドリードへの旅において、時の大臣ガスパールの依頼によりスペイン王フェリペ4世の肖像画を描きます。
フェリペ4世は彼とその作品を甚く気に入り、以後30年に渡ってベラスケスは宮廷の絵師として国王やその周りの家族たちを描きました。
また、フェリペ4世はベラスケスに貴族の地位を与えることで、政治的にも彼を近くに置きました。
これによりベラスケスの交友関係は、スペイン王国の要人やスペインとの友好国にまで広がったそうです。
例えば、現在のルクセンブルク公国は当時スペイン領の南ネーデルラントでしたが
ベラスケスはこの国の外交官や、オランダ独立戦争の英雄であったスピノラと親交を結びました。
出会いのわずか数年後にスピノラは亡くなりますが、ベラスケスは彼の死を悼んで『ブレダの開城』を制作したと言われています。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
ディエゴ・ベラスケス 作『ブレダの開城』です。
これはオランダ独立戦争におけるブレダ要塞の攻略を記念して描かれた作品です。
ネーデルラント諸国は実に80年に渡る独立戦争を行い、1648年のヴェストファーレン条約締結に至るまでは諸国諸地域で争いが絶えませんでした。
ブレダではネーデルラント軍とスペイン軍が衝突し、戦いはスペイン軍の勝利に終わります。
そして開城の証に、要塞の城門の鍵が渡されました。
作中ではネーデルラントの将軍ユスティヌスがスペインのスピノラ将軍に鍵を渡す瞬間が描かれていますね。
この作品の最も評価すべきポイントは、勝者と敗者が同じ目線にいることでしょう。
ましてやこの絵画は戦勝記念に王宮の大広間に飾られた作品です。
本来であれば、勝者である自国を賛美するために、その構図はスピノラがユスティヌスを見下すようなものにするのが定番でしょう。
しかしながらベラスケスはスピノラを馬から下ろし、ユスティヌスの肩を抱くように相手の武勇を讃えさせました。
両者の表情は朗らかで、友和を象徴するように両軍の緊張は解けています。
これには、ベラスケスが重んじたスペイン王国の騎士道精神がまさに描かれていますね。
そして故人となった友人に捧げた、画家の哀悼と尊敬も感じます。
それは貴族や画家である前に、人として最も大切な矜持であり、またこれを容認し王宮に飾っているからこそスペインは大国たりえたのでしょう。
この作品はプラド美術館に所蔵されています。(外部リンクに接続します。)
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