“精神の彼岸でみた光景” 後編 -ゴッホ作『夜のカフェテラス』を鑑賞する-
Table of Contents
作品概要
- 作品名 夜のカフェテラス
- 画家 フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年~1890年)
- 制作時期 19世紀末
ゴッホについて
概要
フィンセント・ファン・ゴッホは19世紀オランダの印象派画家です。
ジャポニスムに影響を受けた画家の一人であり、印象派を語る上では外せない画家ですね。
彼の短い生涯は苦難に満ちており、作品の多くはゴッホが字雑するまでの療養中に描かれたものが多いです。
そして彼の活動や作品は後に続くフォービズム(野獣派)などに多大な影響を与えました。
生涯
闘病
ゴッホはサン=レミの修道院で闘病を続けます。
星月夜を描いたころはよくなっていましたが、時折来る発作が彼を苦しませ続けました。
しかしその中においても制作を続け、“花咲くアーモンドの木の枝”を弟テオドルスに(正確には生まれたばかりの彼の息子に)贈りました。
この頃からは一般にもゴッホの作品が評価され始め、“赤い葡萄畑”などは現在の価値にして約80万円で売れました。
37歳の年に、多少復調したゴッホはオーヴェル=シュル=オワーズに引っ越しました。
退院
オーヴェル=シュル=オワーズはパリの近郊にありながら、都会の喧騒を離れた場所です。
ゴッホにとっては落ち着き、かつ兄弟が近い距離にいることのできる場所でした。
前述した通りゴッホは少しづつ画業で生計を立てられるようになっており、無理をしない程度に制作活動を続けます。
そのころ弟テオドルスは仕事や家庭でトラブルを抱えていました。
テオドルスはゴッホの絵が全く売れず精神的に荒れていた頃も献身的に彼を支え続けた人物です。
もはや親友とさえいえるテオドルスの憂鬱を、兄もまた気に病んでいたようですね。
別れ
1890年7月 テオドルスのもとに手紙が届きます。そこには兄が銃で自らを打ち抜いた旨が記されていました。
急いで駆け付けたテオドルスが見たものは、生死の境をさまよっていた兄フィンセントでした。
銃弾は彼の心臓を打ち抜いており、途切れそうになる意識の中でフィンセントは安らかな死を願います。
残酷にもその願いは叶い、フィンセント・ファン・ゴッホは最愛の弟のもとでその命を閉じました。
尚、その半年後に弟テオドルスもまた兄を追うように亡くなったそうです。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
フィンセント・ファン・ゴッホ作『夜のカフェテラス』です。
この作品は彼がなくなる2年前にアルルで描かれたものですね。
星の瞬く夜に、何人かの人々がカフェで談笑しながら食事をしています。
本当に談笑しているかは当然わかりませんが、この色彩から私はこの感想を抱きました。
夜空もまた明るい青で描かれており、これらを見届ける画家の満ち足りた心を映し出しているかのようです。
テラス席は暖かな色で輝いており、右手には彼らを見守るように一本の杉が立っていますね。
幸福の瞬間を切り取った芸術と言えるでしょう。
こちらの作品はオランダのクレラー・ミュラー美術館に所蔵されています。
この記事へのコメントはありません。