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“遅咲きの印象派” 前編 ゴーギャン 作『ラヴァルの横顔のある静物』を鑑賞する

印象派

作品概要

  • 作品名 ラヴァルの横顔のある静物
  • 画家 ポール・ゴーギャン(1848年~1903年)
  • 制作時期 1886年

ゴーギャンについて

概要

ポール・ゴーギャンは19世紀に活躍した、フランスのポスト印象派画家です。

証券会社員だったゴーギャンが絵画制作に出会ったのは、彼が25歳の時でした。

ゴーギャンはカミーユ・ピサロと出会い、印象派画家として生計を立てんとしますがその道のりは苦難に満ちます。

また、同じくポスト印象派画家であったゴッホと共同で生活していた時期もあります。

生涯

ビジネスマンとしての成功

ポール・ゴーギャンは1848年のパリに生まれました。この年は“諸国民の春”と言われた2月革命が起こった年です。

国王であるルイ=フィリップはロンドンに亡命し、臨時政府が立ち上がった後、フランスは第二共和政へと移行しました。

ただしわずか3年で再びクーデターが起こり、同国は第二帝政へ移行します。

 

ゴーギャンの父親は共和主義者のジャーナリストだったため職を失い、さらにその後ペルーへ向かう同中に死亡しました。

ゴーギャンは1855年にフランスへ戻り、オルレアンで幼少期を過ごします。

 

地元の学校を出ると、彼は水先人として世界中の海を回るようになりました。

19歳の時に最愛の母が無くなりますが、彼は数か月後にインドでその知らせを受け取ったそうです。

ゴーギャンは若くして両親を失ったのです。

 

23歳の時には母の知人を通じてパリの証券取引所での仕事を得ました。

そして株の仲買人としてゴーギャンは、副業で行っていた絵画の取引も併せて、年収6000万円(現在の価値に換算)を得る大実業家になります。

 

ロシアのオリガルヒであるロマン・アブラモヴィッチ氏然り、若い時に貧困を味わった人物は大富豪になる方が多いのでしょうか…

絵画の修業

上記の通り、実業家として富裕層と仕事をする中で、ゴーギャンは自然と絵画に出会います

自然にそれは商売道具から趣味へと変わり、彼は暇を見つけては絵筆を執るようになりました。

当時のパリには印象派の画家たちが多くおり、ゴーギャンは若い画家たちの作品を購入したり、彼らと交流しながら画家や画廊たちと親交を深めました。

 

転機は29歳の時でした。彼の描いた作品の一つがサロンに入選したのです。

喜びはひとしおであり、ゴーギャンはパリ郊外の土地を買いそこへアトリエを建てました。

次第に制作活動としての絵画にのめりこんだのですね。

なお、この3年前にデンマーク人の女性と結婚し、5人の子供を授かっています。

 

34歳の時に次の転機が訪れます。パリの株式市場が大暴落し、絵画の市場もそれに合わせて縮小したのです。

収入の大部分を失ったゴーギャンは、次第に画家としての自分を生計の柱にすることを考え始めます。

 

そして翌年に画家としての自立を決心したゴーギャンは、家族を連れてフランス北部の年に移ります。しかし家計は火の車であり、一家は妻の地元であるデンマークに引っ越しました。

デンマークでは妻が働きながら家計を支えます。(ゴーギャンは言葉の違いから、上手く仕事に就くことができませんでした。)

 

結局ゴーギャンは息子を一人連れて再びフランスに戻りました

画家としての成長

フランスに戻ったものの、ゴーギャンを取り巻く状況はなかなか好転しませんでした。

一人連れてきた息子は病気になったため、ゴーギャンの姉の支援を得て寄宿学校に行きます。

ゴーギャン自身は雑な仕事も引き受け、ギリギリの状態で制作を続けますが、出品した印象派展でも良い評価を得ることはできませんでした。

 

好転のきっかけはポン=ダヴァンへの移住です。

ポン=ダヴァンとはブルターニュ地方に合ったコミューンであり、ゴーギャンはここで画家のコミュニティに属しました。

ポン=ダヴァンでの生活費はやすく、加えて若い芸術家たちとの交流がゴーギャンの精神と芸術に革新を起こします。実際にここで彼は自分よりも23歳も若い画学生と意気投合し、以降生涯にわたって親交を深めました。

鑑賞

 

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あらためて作品を見てみましょう。

ポール・ゴーギャン作『ラヴァルの横顔のある静物』です。

前述したポン=ダヴァンで描いた作品の一つですね。

 

他の多くの印象派の画家同様に、ゴーギャンは浮世絵を始めとしたジャポニスムの熱心な信者でした。

彼にとって西洋画とは、写実性を重視しているだけの無個性なものだったようですが、

反面、アジアやアフリカの美術はストーリー性や活力に満ちていたそうです。

 

この作品はあえて対象物たちの輪郭線を強調して描かれています。浮世絵から着想を得たのですね。

そしてその中に自らの感じた色彩でもって意識を差し込んでいます。

ゴーギャンは色彩と形質の優劣を排除し、両者を等しく尊重する芸術を目指しました。

 

そのため、ルネサンスで発明された、”遠近法”という西洋美術界の基本中の基本を取り払っています。

二次元性を強調したこの試みは、のちに『綜合主義』と呼ばれます。

 

この作品はアメリカのインディアナポリス美術館に収蔵されています。

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