“伝統と革新の狭間で” 中編 ルノワール作『大水浴図』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名
- 画家 ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年~1919年)
- 制作時期 1884年
ルノワールについて
概要
ピエール=オーギュスト・ルノワールは19~20世紀にフランスで活躍した画家です。
モネやピサロとともに印象派の確立に貢献した画家の一人ですが、世間からの非難を浴びたために自身の印象派画家としてのスタンスを疑問視することもありました。
彼の評価が確固たるものになるのは50歳を越えてからでした。
生涯
第1回印象派展を終えて
第1回印象派展の評価は総じて惨憺たるものであり、ルノワールの作品もまた酷評を受けました。
ただし、この批判の中で“印象派”という言葉が生まれ、西洋文化史に刻まれたのですから批評家にしてみれば皮肉なものですね。
一つの目標を成した画家たちは、充実感を得ながらも苦悩しました。個展を開催するための借金を返済する目処が立たなかったからです。
個展が開かれた年の12月に画家たちはルノワールのアトリエに集まり、共同で立ち上げた会社をたたむことを決めたそうです。
制作意欲
作品は評価されませんでしたが、画家たちの制作意欲は絶えませんでした。
ルノワールは翌年から3年にかけて20の作品を描きます。相変わらず世間からの目は侮蔑じみたものでしたが、一人の画商が彼らの作品に目を付けます。
そして画商デュラン=リュエルの画廊にて第2回印象派展を開催することができました。
また、ルノワールが36歳の時には画家カイユボットの援助で第3回印象派展を開催しています。
揺れる意志
37歳になるとルノワールは3年ぶりにサロンに出展します。
当時の印象派画家にはある種の矜持ができており、サロンに頑として出展しない風潮ができていました。
しかしながらルノワールは貧しい階級の出身でしたので、サロンでの評価とそれに付随する経済効果がどうしても必要だったのでしょう。
かわりに第4回の印象派展には出品できませんでした。サロンでは一定の入選作品がでたので、出展した恩恵はありましたね。
また、その後にモネを始めとした一部の印象派の画家たちもサロンに出展し評価を得ています。
サロンに出展するためか彼らの作風も変化し始めており、ルノワールは宗教を題材にしたアカデミズムな絵画も描いています。
輪郭線もくっきりしたものが目立ち、古典的な手法に興味を持ち始めたことを表しています。
回帰
40代半ばになるとルノワールは本格的に古典的表現方法にのめり込みます。
画商のデュラン=リュエルは洗練され始めたルノワールの作品を高く評価しており、自身の画廊を使って個展を開催していたようですね。
この個展はアメリカ人の注目を集め、ルノワールは徐々に名声と安定した評価を得始めました。
彼の作品は古典的なテーマと印象主義が調和しており、神秘的ながらも明るくやわらかな世界観を得ています。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
ピエール=オーギュスト・ルノワール作『大水浴図』です。
ルノワールが40歳前半に描いた作品であり、彼の裸婦画の集大成といえる作品です。
その輪郭線は明確に描かれており、古典的宗教画に通じるものがありますが、光を効果的に描くことで作品全体に明るさと華やかさを与えています。
反面、背景の草原描写では印象主義の手法を全面に用いており、人物と背景のコントラストをはっきりと分けていますね。
女性たちは女神のような神々しさを持つ一方で、現実的な肉感も持ち合わせています。
まさに古典と印象の調和と言える作品でしょう。
この作品はアメリカのフィラデルフィア美術館に収蔵されています。
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