“国籍を持たぬ芸術” 今村柴紅 作『細雨』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 細雨
- 画家 今村 柴紅(1880年~1916年)
- 制作時期 1915年(大正4年)ごろ
柴紅について
概要
今村 柴紅(いまむら しこう)は明治~大正期に活躍した日本画家です。
その生涯は35年と、ラファエロを越える短命でしたが、破天荒な芸術スタンスは多くの画家に影響を与えました。
明治期の多くの画家たち同様に、岡倉天心や横山大観に影響を受けた画家の一人でもあります。
作品数は少ないものの、一部は国の重要文化財に指定されました。
生涯
作品背景
「徳川以降の絵はひどく堕落している。何と言っても建設より破壊が先だ。」
「僕は壊すから君達、建設してくれ給え。」
これらの言葉は今村 柴紅が後進に向けて放ったものです。
親分気質で弟子たちの面倒見も良かった彼は、しかして時代の先駆者や頂点を目指すことはしませんでした。
その代わり、停滞し成長の兆しが見えない日本画界を誰よりも憂いており、状況の打破を至上の命題としていたそうです。
柴紅の意図を酌めば、日本画の成長は江戸時代の初期、すなわち琳派の隆盛を最後に止まっていると推測できます。
この中に浮世絵が含まれているはわかりませんが、むしろ浮世絵の誕生そのものが日本画の社会的価値を相対的に下げたのかもしれません。
また時代柄、彼が西洋絵画やその文化史に触れたことも容易に想像できます。
西洋画のたどってきた進化や淘汰の前では、日本画の成長は無いに等しく感じたのかもしれませんね。
柴紅は、200年以上に渡って染みついた慣習を自分一人で塗り換えることは不可能だと感じたのでしょう。
それ故に彼は破壊者に徹し、常識と闘い続けることを決意しました。
その様は時に非難されたでしょうし、そもそもにこれが彼の描きたかった芸術なのかもわかりません。
しかしながら、親分と慕われた男が選んだ道としては、非常に勇気ある決断です。
今村 紫紅は35歳で夭折しましたが、その覚悟は弟子たちへ確かに受け継がれたそうです。
今なお、新たな日本画は生まれ続けていますが、もしその中で斬新な表現が生まれたとするならば、その起源となった革命的精神を思い出したいものですね。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
今村 柴紅 作『細雨』です。
山肌に絶え間なく降り続ける五月雨を画いた作品ですね。
画かれている樹木はヒノキでしょうか。
五月雨は吹き付けることはなく、しかしある程度の大きさをもって天からまっすぐに降り注いでいます。
この作品で用いられているような雨の表現は浮世絵で確立したアイデアですが、柴紅はそれをさらに進化させ、緑や白の細いすじも雨の表現に起用しました。
また、地面や樹木の葉の部分の輪郭はあいまいで、もはや絵画のような様相を呈しています。印象派の作品にすら見えてきますね。
しかしそれでいて日本画らしい情緒や色合いも保たれています。
この作品を完成させた翌年に、今村 紫紅は亡くなりました。
彼があと60歳ごろまで生きていれば、破壊の先で再構築された”柴紅の日本画”を見ることができていたのでしょうね。
重要文化財に指定されたこの作品は、横浜博物館に収蔵されています。(外部リンクに接続します。)
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