印象派とは 後編 -派閥内の対立、後世への影響-

印象派

概要

印象主義とは19世紀後半から、フランスを中心にヨーロッパ各地に広がった絵画の流行です。

草分けとなったのは、当時主流であったアカデミック絵画に疑問を感じた若い芸術家たちでした。

彼らは世間からの非難を浴びながらも”第1回印象派展”を敢行し、続く印象派展の中で自らの芸術を追求します。

 

やがてグループ内で確執がおきつつも次第に販路は拡大し、新大陸アメリカでのブームを皮切りに評価は安定し始めました。

後世では、彼らに続いて新しい表現方法を模索する若手芸術家たちも出てきたことから、印象派運動が芸術界に及ぼした影響は非常に大きいものがあると言えます。

歴史

続く印象派展と軋轢

初回の印象派展の営業成績は惨憺たるものでした。

画家たちは共同で立ち上げた会社を清算し、以後は理解ある画商やパトロンのもとで制作を続け、また彼らの援助で続く印象派展を開きます。

それでも一部の画家たちはサロンへの再出展を提案し、それが火種となり派閥の中で論争が起きるようになります。

 

例えばルノワールは3回目のグループ展のあとでサロンへ挑戦しましたが、ドガはこれに強く反発し、かわりにグループ展への出展を拒んだそうです。モネもまた、サロンを見越してグループ展への出展に難色を示しました。

最終的にカイユボットが間接的にモネの作品を出展するなどしましたが、このころから彼らの中で葛藤が顕在化するようになります。

もともと経済的に困窮していた画家たちにとって、サロンでの評価は幸福の獲得と同義だったのです。

 

ただし、1879年の第4回印象派展では初めて利益を出しています。

新印象派の誕生

1880年にモネはサロンに出展します。

派閥のリーダー的存在だったモネのサロンへの傾倒は、決定的な裏切りとして他の者たちに受け止められました。

このころは印象主義者たちの作風も変遷しており、グループにはスーラのような新印象主義やゴッホのようなポスト印象派の時代がやってきます。

 

モネは別物のように変わってしまったグループに悲観を覚えますが、新たな芸術運動への進化の過程と考えればむしろ肯定すべきものでしょう。

受け継がれる意志

前述したようにモネ達が確立した印象主義は時代を経て別のものへと変異しました。

しかし世の価値観も時代とともに変化し、美術界のはぐれものと揶揄された作品たちもいつしか高い評価を受けるようになります。

また、これらの運動に感銘を受けた新進気鋭の画家たちは、得たインスピレーションをさらに鋭敏なものに変化させ新たな時代を作り上げました。

例えばアンリ・マティスは色彩の常識を超えた表現を模索した結果“フォービズム”を確立し、また感覚的な表現方法を追求したパブロ・ピカソは“キュビズム”を作り上げています。

作品例

“伝統と革新の狭間で” 後編 ルノワール作『薔薇を持つガブリエル』を鑑賞する

 

 

“新たな時代の創造” 中編 クロード・モネ作『積みわら』を鑑賞する

“新しい印象派” スーラ作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を鑑賞する

“精神の彼岸でみた光景” 中編 -ゴッホ作『星月夜』を鑑賞する-

 

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