“作風の変異” ラファエロ作『シチリアの苦悶』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 シチリアの苦悶
- 画家 ラファエロ・サンティ(1483年~1520年)
- 制作時期 1517年ごろ
ラファエロについて
概要
ラファエロ・サンティは15~16世紀に活躍したイタリアの画家であり建築家です。
歴史と宗教に封殺されていた新プラトン主義を掘り起こし、それを芸術分野に取り入れました。
ラファエロの人生は37年と短いですがその功績は列挙しきれる量ではなく、ダ・ヴィンチやミケランジェロとともにルネサンスを支えた巨匠と言われています。
彼の作品は死後数百年に渡り、西洋絵画の模範とされました。
生涯
制作背景
40年に満たないあまりにも短い生涯ではあったものの、その中においてもラファエロの作風は変化していました。
それが如実に表れたのが終盤の、この作品が画かれた時期です。
ヴァチカン宮殿にあるように、往年の彼の作品とは、ルネサンスの数学に基づいた幾何学性・遠近感を重視した繊細なものでした。
しかしながら、彼が手掛けたヴァチカン宮殿の回廊画には、古代ローマ風のグロテスク様式が見てとれます。
これはネロ皇帝が建造を命じた宮殿 ドムス・アウレアにあるような、動植物のモチーフを侍らせた過度な装飾を言い、15世紀にこの宮殿が発掘されてからは盛んに研究されるようになりました。
この頃からラファエロの作品には、ある種の劇画性のようなものが帯び始め、終盤の作品たちはまるでバロック様式のような色彩を得ました。
これはルネサンスの後に表れたマニエリスムすらも飛び越えた、ある種のミッシングリンクとすら言えるでしょう。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
ラファエロ・サンティ作『シチリアの苦悶』です。
その名の通り、もともとはシチリアの修道院に保管されていた、イエスの受難を描いた絵画です。
イエス・キリストは時の指導者たちの妬みを買い、ユダヤ教を批判したという罪を着せられます。
これに対しユダヤの王は当然怒り、彼をゴルゴダの丘へ連行し、当時もっとも残忍と言われた十字架刑で処刑したのです。
確かにイエスは、弟子たちとともに民衆に新たな教えを説いていました。しかしながら、そこへ異教への批判が混じっていたかはわかっていません。
ゴルゴダはイスラエルにあったとされる地名であり、ここで処刑されたイエスは死後3日で弟子たちの前に復活したと言われています。
画中では責め苦を負うイエスと、それを嘆く弟子たちや聖母の姿が描かれています。ゴルゴダの丘は後方やや遠方に描かれていますね。
このように、ルネサンスの象徴の一つともいえる遠近法は効果的に使われています。
が、絵の彩りや筆致はこれまでのラファエロとは全く異なる様相を示していますね。
この作品の後に、ラファエロはイエスの復活を『キリストの変容』として描こうと試み、またその半ばで没していますが、その作品においてもこのような劇画的なニュアンスが用いられました。
ラファエロがどのように考えこの域に至ったかは謎ですが、聖書の絵画化を目指したラファエロの葛藤もまた、作品の中にあるのかもしれませんね。
この作品はプラド美術館に収蔵されています。(外部リンクに接続します。)
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