“少年の心” -テオドール・ルソー作『アプルモンの樫、フォンテーヌブローの森』を鑑賞する
目次
作品概要
- 作品名 アプルモンの樫、フォンテーヌブローの森
- 画家 テオドール・ルソー(1812年~1867年)
- 制作時期 1852年
ルソーについて
概要
テオドール・ルソーは19世紀に活躍したフランスの画家です。
幼いころから自然が好きで、画家になるとパリ郊外のバルビゾン村に住み、のどかな風景の写生に励みました。
後にバルビゾン村には彼の仲間たちも住み付き、いつしか彼らはバルビゾン派と呼ばれます。
生涯
青年期
ルソーは19世紀初頭にパリの仕立て屋の家に生まれます。彼の家はとても裕福だったそうですよ。
前述した通り幼いころから自然が好きだったようで、15歳のころにはバルビゾン村のフォンテーヌブローの森に訪れています。
コローをはじめとしたバルビゾン派の画家たちもここでの風景をキャンバスに収めていますので、この森はバルビゾン派の同志たちの約束の地だったのでしょうね。
デビュー
19歳の時にルソーの作品がサロンに初入選した後、22歳の時には彼の作品がオルレアン公に買い上げられました。
しかし当時のヨーロッパ画壇は歴史・宗教画が権威を我が物としていたため、ルソーの描く風景画とその評価は嫉妬の対象になります。
その後実に10年以上の間、ルソーの作品がサロンに入選することはなかったそうです。
信念
しかしながらこのような境遇にあってもルソーの自然への情熱は絶えませんでした。
彼は自分の目で見た純粋な風景画を追求し、「落選王」(サロンでの落選続きを皮肉られました。)と蔑まれても制作を止めませんでした。
そして1848年の革命後に彼の作品はサロンにて再評価されます。
晩年
フランス絵画の新時代が幕を開けようとしています。
彼らバルビゾン派の後に印象派が続くように、このころからは社交界の流行が風景画寄りに変化し、美術界の角で一人制作を行っていたルソーはたちまち正統派画家の一画に数えられるようになりました。
43歳の時にはパリ万博にて彼専用の展示室が設けられ、さらに12年後の万博では審査委員長に任命されます。
自らの信念をゆるぎなく貫き続けたからこそ、掴んだ成功だったのでしょうね。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
テオドール・ルソー作 『アプルモンの樫、フォンテーヌブローの森』です。
豊かに葉を茂らせた樫の木のもとに牛や人々が憩いを求めて集っています。
何も特筆することのないありきたりな風景ですが、ルソーはこの中に命の輝きを見出したのでしょう。
やや曇りがちながらも青をのぞかせている空がまた良いですね。
ルソーの胸の内に終生残る情景の一つです。
この作品はパリのオルセー美術館に所蔵されています。
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