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“彼が見つけた楽園” -マティス作『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』を鑑賞する-

西洋画

作品概要

  • 作品名 緑のすじのあるマティス夫人の肖像
  • 画家 アンリ・マティス(1869年~1954年)
  • 制作時期 20世紀初頭

マティスについて

概要

アンリ・マティスはフランス生まれの画家であり、野獣派を代表するアーティストでした。

野獣派の活動が落ちついた後もさまざまな角度から芸術を追求し、20世紀を代表する芸術家となりました。

自然への美を追求し、緑色をメインに『色彩の魔術師』と呼ばれました。

生涯

マティスは19世紀後半のフランスに、裕福な穀物商人の長男として生まれました。

父親はマティスを法曹界へ進ませたかったのでしょう。

18歳の時に彼はパリで法律を学び翌年には法律事務所で書記として働いていました。

そのため、芸術家を志した時の失望は大変なものでしょう。

 

転機は20歳のときでした。

盲腸にかかったマティスは、療養中に絵画に出会い『楽園のようなもの』を発見します(本人談)。

2年後にパリの芸術アカデミーに入学し、その後師となるギュスターヴ・モローや後の親友となるルオーと出会いました。

 

27歳の時点でその才能はすでに世に広まりつつあり、サロンに出展した絵画のうち1点は国有となりました。

 

マティスはセザンヌやゴッホ、ゴーギャンら印象派の影響を受けるようになります。

そして自由で枠にとらわれない色彩表現を追求した彼の絵画は、いつしか野獣派(フォービズム)と呼ばれるようになります。

なお、この一派を主導したのはマティスの師であるギュスターヴ・モローでした。

この活動は3年で終了し、フォービズム時代の自分を否定したマティスは人々を癒す絵画を目指します。

 

40代になったマティスはキュビズムの影響を受け、幾何学的な世界観に傾倒します。

さらに線や対象の単純化を研究したマティスはついに切り絵という結論を見つけました。

もはや色すらも単純化したのでしょうね。

 

晩年、マティスは植物と鳥たちに囲まれたアトリエを作ります。

芸術家のアトリエとしては風変わりなものだったでしょうね。

そのアトリエでマティスは自然から受け取った感動をそのままかたちにしたのでしょう。

 

そしてアンリ・マティスはニースで84年の生涯を閉じました。

鑑賞

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改めて作品を見てみましょう。

アンリ・マティス作 『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』です。

彼が野獣派と呼ばれていた頃を代表する作品の一つですね。

前述したように野獣派としての自分をマティスは否定しました。しかしこの絵からは写実性から抜け出さんとするマティスの努力や、見るものを圧倒せんとする色彩の暴力を感じます。

 

この絵画はデンマークのコペンハーゲン国立美術館に展示されています。

 

マティスの晩年の作品である切り絵たちは、パブリックドメインではないためここで紹介することはできませんが、メトロポリタン美術館をはじめとした多くの美術館で観覧することができます。

ぜひお立ち寄りください。

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