“新しい印象派” スーラ作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を鑑賞する
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作品概要
- 作品名 グランド・ジャット島の日曜日の午後
- 画家 ジョルジュ・スーラ(1859年~1891年)
- 制作時期 1885年ごろ
スーラについて
概要
ジョルジュ・スーラは19世紀後半にフランスで活躍した画家です。
印象派の持つ鋭敏な色彩をさらに追及したスーラは、自身のイメージを具現化するために点描法を確立しました。
この表現方法は現在のLEDディスプレイと原理を同じくしており、また彼の確立した一連の様式を指して新印象派と呼ばれました。
生涯
印象主義に魅了された少年
1859年にパリで生まれたスーラは、19歳の時にエコール(高等美術学校)に入学しました。
しかし兵役のために一時学習をやめています。
彼が絵画を学んでいた時代は突如現れた印象主義に人々が衝撃を受けていた時代でした。
多くの人々にとってその衝撃は嘲笑にかわりましたが、スーラを始めとした一部の若手芸術家は感銘を受けたそうです。
サロンでの落選と印象派展への進出
多くの印象主義画家がそうであるように、スーラの作風は異端であるとされサロンでの評価は高くありませんでした。
そこでスーラは審査や評価を行わないアンデパンダン展に作品を出展しました。
また本項で紹介する“グランド・ジャット島の日曜日の午後”は印象派展に出展されています。
ただし、このころの印象派展にはモネやルノワールといった印象主義の設立に貢献した画家たちはいません。
グループの方向性がモネ達が理想としたものから離れていたためです。
事実、スーラを受け入れるにあたって内部で対立が起きており、さらに彼が出展した回が最後となったそうです。
目指したもの
派閥の印象派画家たちの一部はスーラを否定していますが、反対に彼は印象派を肯定しています。
というより、そもそもスーラは印象主義に共感を持った画家の一人であり、彼を始めとした“新印象主義”の画家たちは、変化の中で失われていた初期印象主義の色彩を復興させようとしていました。
スーラはこの運動において、モネ達が感覚的に探究した色彩表現を、理論的かつ体系的に示そうとしたようです。
早世
ジョルジュ・スーラの生涯は32年間と非常に短いものでした。
死因は感染性の心臓病、肺炎等と諸説ありますが、生まれてから亡くなるまでに大きな波乱はなかったと言われています。
しかしスーラの生涯には謎が多いと言われており、これは彼が徹底した秘密主義者だったからだそうです。
今後、文献等が発見されるのを待つばかりですね。
鑑賞
あらためて作品を見てみましょう。
ジョルジュ・スーラ作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』です。
描かれているのはセーヌ川に浮かぶ小島と、そこで思い思いのひと時を過ごす人々です。
最先端の光学理論及び色彩理論をもとに制作された作品であり、点描法を使って原色と反対色を効果的に配置しています。
これにより情景には日光と木陰の陰影が温かく描かれており、当時の風景が写実的に伝わってきますね。
スーラは一つの作品に非常に丁寧に向き合う画家でした。
描き始めるまでの構図や配置を入念に研究し、また下絵や素描を何度も重ねたそうです。
この作品は完成までに2年を要しており、またそのサイズは2m × 3mと巨大です。
それでもなお違和感や矛盾なく描き上げられているのは、丁寧さと研究の表れといえるでしょう。
この作品はシカゴ美術館に収蔵されています。(外部リンクに接続します。)
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