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“最高峰の彫刻家” 前編 ミケランジェロ 作『ケンタウロスの戦い』を鑑賞する

宗教画

作品概要

  • 作品名 ケンタウロスの戦い
  • 画家 ミケランジェロ・ブオナローティ(1475年~1564年)
  • 制作時期 1492年ごろ

ミケランジェロについて

概要

ミケランジェロ・ブオナローティは15~16世紀に活躍したイタリアの芸術家です。

ラファエロダ・ヴィンチらと同じくルネサンスの最盛期を作り上げた巨匠であり、彫刻家としての活動以外にもフレスコ画や絵画、詩など多岐に活動しました。

加えてその全てが後世に大きな影響を与えたため、西洋美術史最高峰の芸術家と言われています。

生涯

芸術に魅入られた少年

ミケランジェロは1475年にイタリアのフィレンツェで生まれました。

彼の一族は代々金融業を営んでいましたが、彼の父親の代で経営に失敗しています。

父親はその再建のためかミケランジェロに学業を優先した教育を施そうとしました。しかし彼はこれに反発し、教会の装飾や画家たちとの交流にいそしんだそうです。

 

13歳でフィレンツェの画家に弟子入りすると、翌年には技術をマスターしています。ミケランジェロは驚異的なスピードで成長していました。

15歳の頃からはメディチ家当主の庇護のもと活動し、同家のアカデミーで多くの文化人と交流を深めました。

このころからミケランジェロは彫刻を自身の芸術活動の中心にしています。

環境の変化

17歳の頃、自身に良くしてくれていたメディチ家の当主が亡くなりました。またその後の動乱で同家がフィレンツェから追放されてしまったため、ミケランジェロはボローニャへと活動の場を移します。

メディチ家の栄光も手伝い、青年期から人気彫刻家だったミケランジェロには以降も仕事の依頼が舞い込み続けました。

ただし、フィレンツェのメディチ家は動乱の中にいましたので、彼は別地方のメディチ家とつながりを深めていきます。

 

あるときミケランジェロはメディチ家ロレンツォ2世の依頼を受けてローマ神話に登場するキューピッドの彫刻を作りますが、ロレンツォはこの仕事に対し、わざと古く見せる注文を付けました。完成品をローマに持っていき、古代のものとして高値で売ろうと考えたからです。

この企みはローマの枢機卿に看破されましたが、作品の出来に感心した枢機卿がミケランジェロをローマに呼びました。

鑑賞

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あらためて作品を見てみましょう。

ミケランジェロ・ブオナローティ作『ケンタウロスの戦い』です。

ミケランジェロはメディチ家のアカデミーにて詩人であるアンジェロと知り合いました。

彼に聞いたギリシャ神話のエピソードからこの作品は作られたと言われています。

 

作品には多くの人物が登場しておりさらにそれらが、層を作って空間を表現しています。

登場人物たちは各々表情が異なり、戦闘の情景を詳細に描写していますね。

 

恐るべきはこの精巧な彫刻を17歳で仕上げたことでしょう。

のちの開花が容易に想像できます。

 

この作品はミケランジェロの邸宅の一つ、カーサ・ブオナローティに収蔵されています。

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  1. もろこし

    とてもお勉強になりとても興味が湧きます
    道真のこともとても興味ありました
    また楽しみにしています
    ありとうございます
    言葉がすこしふじゆですみません

    • mika

      ありがとうございます!
      独りよがりなサイトですがこのコメントでモチベーションが上がりました。

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